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兵庫県三田市 心月院

Shingetsuina, Sanda City, Hyogo

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九鬼家と白洲家の菩提寺、白洲次郎・正子の墓
 Nature
 
 
 Water    
 Flower
 
 Culture
 
本堂で九鬼家と白洲家の資料展示
 Facility
 
 Food
 


August 1, 2020 野崎順次  source movie

兵庫県三田市西山2-4-31
曹洞宗
清涼山 心月院

三田市の西山の麓にある心月院は、白洲次郎と正子夫妻の墓所がある寺として知られていますが、本来は三田藩主九鬼家の菩提寺です。
そもそも寺の名前も、初代三田藩主・九鬼久隆の父で、九鬼家の鳥羽最後の城主であった九鬼守隆(1573-1632)の戒名「松嶽院殿心月善光大居士」から一部を取って名付けられたものです。つまり、久隆が父を鳥羽から移し葬るために創建されたことを表しています。
白洲家も、元々は三田藩の儒者の家柄だったため、心月院に墓があるのです。
白洲家の歴代で有名なのは、白洲次郎の祖父・白洲退蔵(1829-1891)。最後の三田藩主・九鬼隆義に大判事(家老相当)として抜擢され、藩政改革を推し進めました。
明治維新後、退蔵は旧藩主・隆義たちとともに志摩三商会という会社を作り、経済界へ進出します。このことが、孫の次郎の活動へつながる背景なのですね。
心月院は、位牌堂以外の本堂・経蔵・総門・山門・庫裡・書院・蔵などはすべて江戸時代以前の建物が残っています。特に、山門は桃山時代以来存在しているとされる古いもの。伝承では、関ヶ原の合戦後、当時の領主・有馬豊氏が豊臣家から譲り受けた有馬温泉御殿の遺構の一部だといわれています。
(「能楽と郷土を知る会 三田の歴史と能楽」サイトより)

パンフレットと現地説明板
            


山門 桃山 天正十三年(1585)
平八切妻造、単層、桟瓦葺
          


総門 江戸中期 宝暦三年(1753)
向唐門、本瓦葺
                 

本堂、位牌堂、総門、庫裏に囲まれた庭、4月後半にツツジが咲いて特に美しい。
           


庭の隅の石仏たち
   


位牌堂
    


庫裏
   


本堂 江戸中期 天明六年(1786)
入母屋、桟瓦葺、桁行7間
         


本堂内の展示、九鬼家と白洲家
                             


本堂からすだれ越しに見る庭と総門
      


経堂 江戸後期 天保六年(1835)
宝形造、本瓦葺
             


位牌堂奥の池泉回遊式庭園、なかなかよい。
                 


白洲家墓所、白洲次郎(右)と正子(左)の墓石は共に五輪塔板碑で、それぞれ、不動明王 と十一面観音を表す梵字が彫られている。
       


その他、次郎の父文平、祖父退蔵など白洲家のお墓
        


九鬼家墓所
            


山門横の墓石塔など
     

 

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