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兵庫県篠山市 福住

(Fukusumi, Sasayama City, Hyogo Pref.)

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 Nature
 
のどかな山里
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Dec.15,2015 瀧山幸伸 source movie

亀岡市から篠山市へ

 

福住 

東から西へ(西野々地区、安口地区、川原地区、旧福住駅周辺)

                                                                                                                                                              

                                   

住吉神社

                                                        

                  


Jan.2013 野崎順次 source movie

撮影日: Jan. 5, 2013

兵庫県篠山市 福住、川原、安口、西野々

篠山市福住地区の町並みが平成24年12月28日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

当地方は、戦国期には八上城に居を構えた波多野氏領で、慶長14年(1609)に領主となった松平康重が八上城を廃して篠山に篠山城と城下町を築いた。保存地区は、篠山城下の東、篠山から京都に向かう西京街道沿いに位置し、福住、川原、安口、西野々の4集落からなる。このうち福住は、江戸時代に宿場町として整備された。一方、川原、安口、西野々は宿場町の外で、宿場の機能を補完する集落であったと考えられる。

保存地区は、東西約3,260m、南北約460m、面積約25.2ヘクタールである。東西に流れる籾井川南岸に西京街道が通り、街道に沿って西から福住、川原、安口、西野々の各集落が形成される。集落は、籾井川に直交する谷口に形成され、周辺に田園が展開し、谷奥の溜池から籾井川に水路を設けて灌漑施設としている。

福住では、宿場町のほぼ中央に本陣、西端に脇本陣が配され、西京街道に面して町並みが形成される。敷地は街道に沿って短冊形に配される。川原、安口、西野々でも、街道に沿って敷地が並ぶが、福住に比べて、間口に比して奥行きが浅い。宿場町では街道に面して主屋が建てられるが、他の部分では、街道と主屋の間に空地や庭を設けるものがある。主屋は、つし二階建、瓦葺、若しくは平屋建、茅葺(現在は鉄板葺)とし、妻入の建物が主体であるが、平入の建物もみられる。宿場町では瓦葺とするものが主で、他では瓦葺又は茅葺の建物が混在し、特徴ある町並みを形成している。敷地内には主屋の他に、離れ、納屋、土蔵が建ち、塀で敷地を囲み、門を構えるものもみられる。

篠山市福住伝統的建造物群保存地区は宿場町として発展した町並みと、街道沿いに形成された特徴ある農村に、妻入を主体としたつし二階建瓦葺や平家建茅葺の伝統的建造物が、周囲の田園及び特徴ある灌漑施設等の環境と一体となって、宿場町とそれに隣接する農村集落の歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。

(篠山市HP−保存地区の概要より)

この地区は江戸から明治中期にかけてまでは宿場町として繁栄していたが、京都・園部を結ぶ京都鉄道(現JR山陰本線)、神崎・福知山を結ぶ阪鶴鉄道(現JR福知山線)が開通したことにより取り残され、昭和47年には福住を経由して篠山と園部を結ぶ国鉄篠山線が計画途中で廃線となったことで、さらに都会の影響を受けることが少なくなり、伝統的な町並みを残すことにつながった。

アプローチ

早朝、福知山線で篠山口駅まで、そして、バスで福住まで。霧が晴れると北方に多紀アルプスがくっきり。

           

福住(ふくすみ)地区

             

国鉄福住駅跡あたりと思われる。

    

福住の町並み、核心部

               

一里塚

    

福住上あたり、凍結した畑

                            

住吉橋を渡ると、川原(かわら)地区

住吉神社、鐘楼は市指定有形文化財

                             

元神宮寺の書院。思いがけなくも敬愛する重森三玲さんによる作庭だった。

                  

重森三玲さんによる裏庭「住之江の庭」、昭和41年(1966)、円熟期70歳の作品である。残念ながら、書院は開いてなかったので、塀越しに見る。

                

川原の集落

                

安口地区、「はだかす」と読む。日本の難読地名の一つである。

元々の地名の文字は「鮟鱇(あんこう)」、両字の魚片を省略して「安康(あんこう)」となり、さらに康の字が口に変って「安口(あんこう)」になった。そして、「鮟鱇」すなわち大山椒魚には肌に糟のようなものがあるので、この地域では俗称「ハダカス」と呼ばれていた。結局のところ文字は「安口」、呼び名は「はだかす」となったらしい。ちなみに安口より西に約150Km離れた岡山県英田郡西粟倉村の河川には、大山椒魚が棲息するが、やはり「はだかす」と呼ばれている。

                             

安口の代表的な風景、北側から見た白蔵群

            

安口の町並みに戻る。

                        

西野々(にしのの)地区

                                                

北東から安口、西野々あたりを振り返る。

  

福住町並みの東端、原山口からJR園部までバスで

         

参考資料

篠山市HP

西日本技術コンサルタントHP

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