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兵庫県 篠山市 春日神社

(Kasuga Jinja Shrine, Sasayama, Hyogo)

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篠山市黒岡75 春日神社能舞台 重文 近世以前/その他 江戸末期 文久元(1861) "舞台、橋掛、鏡の間及び楽屋よりなる舞台 桁行5.9m、梁間5.9m、一重、入母屋造、妻入、背面後座及び控の間附属、桟瓦葺橋掛 桁行9.8m、梁間2.7m、一重、両下造、桟瓦葺、東面廊下付鏡の間及び楽屋 桁行8.9m、梁間7.6m、一部二階、切妻造、東面下屋、西面庇付、桟瓦葺" 20030530


March 28, 2015 野崎順次 source movie

兵庫県篠山市黒岡

アプローチ、神門

絵馬堂には十数枚の絵馬が掲げられているが、松平忠国が明石に転封の際に奉納した狩野尚信筆という「黒神馬絵馬」、篠山藩士塀和佐内が奉納した「大森彦七絵馬」が双璧である。とくに「黒神馬絵馬」は素晴らしい筆致で描かれ、馬が絵から抜け出して黒岡の畑の豆を食い荒らしたという伝説があり、かつては金網で覆われていた。現在、それぞれ市の文化財に指定されている。

(「篠山の歴史・見どころ」ウェブサイトより)

国重文 春日神社能舞台 江戸末期 文久元年(1861)

舞台、橋掛、鏡の間及び楽屋よりなる

舞台 桁行5.9m、梁間5.9m、一重、入母屋造、妻入、背面後座及び控の間附属、桟瓦葺

橋掛 桁行9.8m、梁間2.7m、一重、両下造、桟瓦葺、東面廊下付

鏡の間及び楽屋 桁行8.9m、梁間7.6m、一部二階、切妻造、東面下屋、西面庇付、桟瓦葺

春日神社は,篠山城の北約350mの地にある。現存する能舞台は,篠山藩主第13代の青山忠良の寄進により,文久元年(1861)に建立されたものである。

入母屋造の舞台は方形で,南に刎高欄付の脇座,東に後座を設ける。この北には橋掛が北東に延び,北側にある鏡の間及び楽屋に接続する。橋掛は両下造,鏡の間及び楽屋は切妻造で,南側が一室の鏡の間,北側が二階建の楽屋になる。

春日神社能舞台は,正統的な格式に加え,床下に音響施設の大甕を具備した構成になり,西日本でも屈指の近世能舞台として,高い価値がある。

造営の経緯、大工、絵師などが明らかとなる歴史史料,舞台用装置などが残ることも重要で,地方における近世芸能文化の展開を知る上で,貴重な遺構といえる。

(国指定文化財等データベースより)

雨戸の一部に能舞台が覗ける窓がある。でも、非常に暗く、肉眼ではほとんど見えない。

拝殿と本殿

その他境内

 


May.2010 野崎順次

兵庫県 篠山市黒岡75

平安時代初期の876年(貞観18年)当時、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である春日大社(奈良県)より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされる。

後の1609年(慶長14年)、篠山城築城の際に現在の地に遷された。

地元では「おかすがさん」と呼ばれる氏神。

能楽殿で演じられる春の春日能と秋の祭礼(10月第3土・日)の京都八坂の祇園祭を模したといわれる4基の神輿、華麗な飾り付けを施された9基の山鉾巡行は京文化を強くうかがわせ、笛や鐘の囃子を響かせながら小京都雰囲気の残るの古い町並みを練り歩く様子は、近代的な町で行われる本場の京都の祇園祭よりも情緒あるものとして知られる。

絵馬堂:

1952年(昭和27年)8月に平和記念に建立された。

内部の馬絵は、当初は旧拝殿内に会ったものだが慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、精緻なもので価値が高い。

この絵馬だけには金網が張ってあったが、それはこの馬が夜な夜な絵から抜け出しては黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである。

多紀名宝にも指定されている。

重要文化財 能楽殿:

篠山藩主13代藩主青山忠良によって江戸時代末期である1861年(文久元年)に建てられた能舞台。

建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもので、当時箱根以西において最も立派なものであると称えられた。

正月の1月1日には、翁奉納および毎年、桜の咲く時期の4月上旬に「篠山春日能」が催される。

境内

鉾山の倉、神社入り口

近くの大通り

参考資料

篠山市役所公式HP

丹波篠山五十三次ガイド

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