兵庫県宍粟市 御形神社
Mikatajinja Shrine, Shiso City, Hyogo Pref.
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宍粟市一宮町森添280 御形神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 大永7(1527) 三間社流造、檜皮葺 棟札4枚 19670615
November 13,2016 大野木康夫 source movie
所在地 兵庫県宍粟市一宮町森添280
参道周辺
境内
本殿(重要文化財)
大永7(1527)年の建築
三間社流造、檜皮葺
その他境内
Sep.26,2015 瀧山幸伸 source movie
May 3, 2013 野崎順次 source movie
兵庫県宍粟市一宮町森添280
当社のご祭神は葦原志許男神と申し、又の御名を大国主神とも申し上げます。志許は、元気のある、武勇に優れた、或は神威赫たる神という意味であります。
この神様は、今の高峰山に居られて、この三方里や但馬の一部も開拓され、蒼生をも定められて、今日の基礎を築いて下さいました。
しかし、その途中に天日槍神が渡来して、国争ひが起こり、二神は黒葛を三條づつ足に付けて投げられましたところ、葦原志許男神の黒葛は、一條は但馬の気多郡に、一條は養父郡に、そして最後は此の地に落ちましたので地名を三條(三方)といひ伝へます。又、天日槍神の黒葛は全部、但馬国に落ちましたので但馬の出石にお鎮まりになり、今に出石神社と申します。
やがて葦原志許男神は事を了へられてこの地を去られるに当り、愛用された御杖を形見として、その山頂に刺し植えられ、行在の標とされました。以て、当社の社名「御形」は、形見代・御形代より起こりました。
その刺し植えられた所に社殿を建ててお祀り申しましたのが当社の創祀であります。やがて奈良朝の宝亀三年(七七二年)、里人数人が一夜の中に三本の大杉が、山神社の森に鼎立するという霊夢を見、これは山頂の大神の当地へのご遷座の所望であらうとの事で、早速ご社殿を造営し、お祀り申し上げたのが当地での起源であります。
御本殿は、三間社流造、檜皮葺、大永七(一五二七)年の建立で、昭和四十二年重要文化財に指定され、昭和四十六、七年に解体復元工事が施工されて、室町時代後期の見事な彫刻や繊細な組物が甦りました。
(平成祭データより)
アプローチ、神姫バス山崎停留所から横山行きのバスに乗り、揖保川をどんどん遡る。鮎の友釣り発祥の地の石碑を見かけたような気がしたが、ネットで調べるとそんな史実はなさそう。新緑に少しぬるい風が吹いていた。
三方小学校下で下車する。のどかな山間地。
参道を進む。中高年カメラマンが多く、思いがけなく、今日は春のお祭りだ。
右手に御形大神降臨の碑(沖田の碑)
高峰山の御祭神が飛び降りところ、柚子の木で目を傷められた。以来、この里には柚子が実らなくなったと云う。
お祭りの一行が出てきた。三基の神輿渡御に子供みこしも加わる。
黒い鳥居から神門へ。老人が少なく、小中学生が多く、今時珍しい人口構成だ。
拝殿、春祭りの神輿が戻ってきた時にも撮影した。
国重文 御形神社本殿 室町後期 大永七年(1527)
三間社流造、檜皮葺で、側廻に高欄を付けた椽を設け、柱の上の組物は三ツ斗の出組で軒支輪を配し、木鼻、手挟、蟇股などには室町末期の様式技法を伝える繊細な木組や彫刻がある。
正面
向かって左側面
向かって右側面
背面
夜の間杉。奈良時代宝亀三年(772)に、当社の御祭神の夢のお告げがあり、山神社の森に三本の大杉を鼎立し、その中心に高峰山に居られた御祭神を遷座したという伝説の杉。推定樹齢600年。
その他境内
百人一首図絵馬(市文)のある絵馬堂
神輿が戻ってきて、獅子舞が始まった。また、木を打ち鳴らしながら天狗が闊歩して、子供を驚かしたり、獅子舞とじゃれたり。
最後はビンゴゲーム。
三方小学校下バス停に戻る。野の花など。
その他参考資料
御形神社HP
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