兵庫県宝塚市 清荒神清澄寺
(Kiyoshikojin Seichoji Temple, Takarazuka City, Hyogo Pref.)
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江戸前期の庭園 |
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December 8, 2018 野崎順次 source movie
兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地
真言三宝宗 大本山
摂津国八十八箇所第72番
896年(寛平8年)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられた。本尊は大日如来。鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。本尊は大日如来で、国の重要文化財に指定されている。山内には画家富岡鉄斎の作品を集めた鉄斎美術館が1975年に設立された。
近隣地域では、「荒神さん」と呼び慣わされ、かまど神の一種として、ここで受け取ったお札を台所の神棚に祀るなどの信仰が根付いている。門前の緩やかな坂道には、屋台を含め200近い店舗が軒を並べて門前町を形成している。極道から弁護士になったことで話題になった大平光代の更生のきっかけとなった寺としても有名。大平は初めて訪れた日から17年間毎日通ったという。
(ウィキペディア「清荒神清澄寺」より)
パンフレットと現地説明板
参道
山門あたり
三宝荒神社
本堂
池苑
本庭の面積は約百八十坪ほどあって、北西部にもとの山畔を利用して、下部に池泉をうがち、中島一島を設けてある。そして池庭はやや奥行きの幅が広く、これは元禄時代の定型的な地割であり、さらに池中にやや大きな亀島一島を作ることも、やはり元禄から正徳あたりにかけての定型的地割であり、
(中略)
本庭の北部には滝を組み、多量の水を落下させていて、その石組もなかなかよく、その右手が出島となっていて、その付近にも多数の石組があるが、改造された部分も多い。中島は亀島として作られ、東部に亀頭石を用い西部に亀尾石も見られ、その手法もまたよくこの時代の手法を見せている。手前の護岸石組は、今日では大変な荒廃を見せているし、改修されているが、亀島のちょうど西部にある山畔の集団石組は、亀島に対して鶴石組としたもののようであるが、相当に崩れているので判明しがたい。いずれにしても一見の価値ある庭園である。
(重森三鈴「日本庭園歴覧辞典」清澄寺庭園より)
史料館から鉄斎美術館あたり
帰りの参道
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