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兵庫県高砂市 大日寺の五輪塔と石仏

(Five-ring Pagoda etc. in Precincts of Burned Dainichiji Temple, Takasago City, Hyogo Pref.)

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September 28, 2020 野崎順次 source movie

兵庫県高砂市阿弥陀町阿弥陀

大日寺は2009年に焼失し、境内に残る五輪塔と石仏は共に高砂市指定文化財。

曽根駅から東へ300mほど行くと大日寺があり、境内に高さ3.3mの大きな竜山石の五輪塔が立っている。暦応五年(1342)刻銘があり、南北朝初期の造立石碑に「正四位児嶋範長公之墓」とある。また、高さ208cm、幅80cmの石面に、枠取りをして、蓮華座に立つ像高63cmの阿弥陀如来像を彫った石仏があり、永正四年(1507)室町中期。
(清水俊明「関西石仏めぐり、1997」より)
     


大日寺の五輪塔は児島範長のお墓?
武家から政権を奪取して成立した明治新政府は、鎌倉時代に続く南北朝の動乱に対しては、当初から南朝を正統とする歴史観を固持していました。
(中略)
児島範長は、『太平記』で南朝の忠臣と描かれた児島高徳の父といわれています。児島範長は、北朝方の赤松勢と播磨で合戦して敗れ、阿弥陀の宿あたりで自害したと言います。
(中略)
この伝承をもとに、阿弥陀村のK氏は明治18年 (1885) の7月と11月の2度にわたり、大日寺の五輪塔が児島範長の墓であることを認定するよう政府に上申しました。翌年1月に内務大臣にまで提出され、その結果、2月10日づけで山県有朋内務大臣から公認を受けました。もっとも、これが確かに児島範長の墓であるか、どうかに関しては確実な文献史料はありません。しかも、五輪塔には「暦応」という北朝の年号が刻まれているため、当時から疑問が出されていました。
(中略)
児島範長の墳墓認定をめぐる動きは、南北朝時代史の問題ではなく、明治という時代の特質を示す興味深い事例です。
(「ひろかずのブログ、加古川市・高砂市・播磨町・稲美町の歴史探訪」ウェブサイト 、『高砂市史(第三巻)・通史編近現代』参照)
      


阿弥陀石仏 室町中期
     


大日寺は2009年に焼失した。その礎石らしき石。
  


西国街道と花

       

 

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