兵庫県丹波市 達身寺
(Tasshinji Temple, Tamba City, Hyogo Pref.)
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丹波の正倉院、重文仏像12躯 | |
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のどかな里 | |
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Flower | ||
Culture | 丹波仏師の工房? | |
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Nov.23, 2024 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
November 16, 2021 大野木康夫
source movie
所在地 兵庫県丹波市氷上町清住259
駐車場から本堂
裏山を整備してモミジを植えてあります。
急勾配の坂を登りながら
上の休憩所から
下に下りて撮影
本堂付近
帰路
December 30, 2015 野崎順次 source movie
兵庫県丹波市氷上町清住259
曹洞宗
十九山 達身寺
達身寺の仏像の特徴と疑問史
達身寺の仏像は、木彫仏であり、その多くが一本の大木から作られる一木造り(いちぼくつくり)である。複数の木材を張り合わせて作られる寄木造り(よせぎつくり)の仏像も多く作られていたはずであるが、長い年月放置された為、寄木では仏像の姿で今の世に残ることが出来ず、破片化してしまった。
また、一寺に一躯(いったい)奉ればよいとされている兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)が十六躯もあると言うこと、本尊仏になる仏像が多いこと、未完成の仏像があること、仏像のお腹が膨らんでいること(これは達身寺様式と呼ばれている)等、特徴が挙げられる。
郷土史家船越氏の説と古文書
達身寺に言い伝えられている事実とは少し違うのではないか、大寺院で山岳仏教の教権を張ったと言うよりは、お堂を多く持った工房であったのではないか、そこに丹波仏師がいて造仏していたのではないか、と言うのが郷土史家船越氏の説である。
達身寺では、丹波仏師がいたことを認めれば昔からの疑問はいくつか理解できる(未完成の仏像、本尊仏が多い、同名の仏像が多い等)。奈良の東大寺の古文書の中に丹波講師快慶と記されており「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っているのである。とすれば、鎌倉時代の有名な仏師快慶は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い仏師であると言える。ところが、残念なことに達身寺には古文書が何も残ってない為、はっきりしたことは解らない。だが、鎌倉初期から平安弘仁期の古い仏像が沢山おられると言うことだけは、はっきりとした事実である。
(達身寺ウェブサイトより)
何故か、平安、鎌倉の仏像が沢山あって、丹波の正倉院と呼ばれているそうだ。茅葺の本堂の写真は兵庫県の観光カレンダーに使われるほど味がある。
パンフレットとお寺の前
正面から見た本堂
周囲から見た本堂
本堂に入る
庭と毘沙門堂
毘沙門堂の兜跋毘沙門天立像二躯(国重文は宝物殿内)
仏足石
その他境内
お寺の回り
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