兵庫県たつの市 永富家住宅
Tatsuno downtown,Tastuno city,Hyogo
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たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 文政3(1820) 桁行26.1m、梁間18.1m、一部二階、入母屋造、本瓦葺、西北突出部 二階建、入母屋造、本瓦葺 普請文書11冊、板絵図1枚 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 長屋門 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化14(1817) 桁行13.3m、梁間4.0m、東端入母屋造、西端籾☆納屋に接続、本瓦葺 普請文書1冊 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 籾納屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 桁行13.8m、梁間5.9m、東端切妻造、西端入母屋造、本瓦葺 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 大蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 文久元(1861) 土蔵造、桁行9.6m、梁間5.8m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺 普請文書1冊 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 乾蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化14(1817) 土蔵造、桁行7.0m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 内蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 嘉永3(1850) 土蔵造、桁行6.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 味噌蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行5.0m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺 19670615
たつの市揖保川町新在家字横田337 永富家住宅(兵庫県揖保郡揖保川町) 東蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行5.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺 19670615
December 28,2014 大野木康夫 source movie
文政三年(一八二〇)の建設になる主屋のほか、長屋門、籾納屋、大蔵、乾蔵、内蔵、味増蔵、東蔵の八棟がほゞ同じ時期のまゝそろっている。
播州平野における江戸末期豪農の家として特にすぐれるものである。
(国指定文化税等データベースより)
長屋門
文化14(1817)年の建築
桁行13.3m、梁間4.0m、東端入母屋造、西端籾納屋に接続、本瓦葺
籾納屋
江戸後期の建築
桁行13.8m、梁間5.9m、東端切妻造、西端入母屋造、本瓦葺
主屋
文政3(1820)年の建築
桁行26.1m、梁間18.1m、一部二階、入母屋造、本瓦葺、
西北突出部 二階建、入母屋造、本瓦葺
主屋内部等
庭
大蔵
文久元(1861)年の建築
土蔵造、桁行9.6m、梁間5.8m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺
大蔵内部の展示
普請文書及び板絵図
東蔵
江戸後期の建築
土蔵造、桁行5.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
東蔵から味噌蔵へ
味噌蔵
江戸後期の建築
土蔵造、桁行5.0m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺
内蔵
嘉永3(1850)年の建築
土蔵造、桁行6.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
西側庭園
乾蔵
文化14(1817)年の建築
土蔵造、桁行7.0m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺
兵庫県たつの市揖保川町新在家337
撮影日: 2012年3月24日
永富家は、17世紀には大富豪で、庄屋を兼ねていた。寛文12年(1672年)に脇坂氏が龍野の藩主となってからは、藩の財政を助けたり、あるいは年貢を大阪へ積み出すことを請け負うなど、たびたび功績があった家柄だった。そのため、永富家は藩から在郷家臣という武士並の特別待遇を受け、代々の殿様が領内見回りの折りに何回となく立ち寄ったので、建物には身分の高い武家屋敷のように上段の間や玄関がある。 これらの建物は、この地方のおだやかな気候が幸いして、ほとんど大きな修理をせずに今日に至っている。
文政三年(1820)の建設になる主屋のほか、長屋門、籾納屋(もみなや)、大蔵、乾蔵、内蔵、味増蔵、東蔵の八棟がほぼ同じ時期のまま揃っており、播州平野における江戸末期豪農の家として特に優れたものである。
パンフレットと現地説明板
北に広がる田んぼから近づいていく。主屋の大きな屋根が見えている。
長屋門 江戸後期 文政十四年(1817)
桁行13.3m、梁間4.0m、東端入母屋造、本瓦葺
主屋 江戸後期 文政三年(1820)
桁行26.1m、梁間18.1m、一部二階、入母屋造、本瓦葺、
西北突出部 二階建、入母屋造、本瓦葺
長屋門から見た主屋と玄関の美しさ、土間の天井の面白さ、すっきりとした座敷構えなどは日本建築の美しさを表している。
長屋門からの主屋(全体の東半分になる)
木戸をくぐって庭に囲まれた主屋西側を右回りに見て行く。
乾蔵 江戸後期 文化十四年(1817)
土蔵造、桁行7.0m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺
内蔵 文化三年(1806)以前でこの敷地内では最古
土蔵造、桁行6.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
主屋の東北隅、内蔵に面する。
主屋の正面に戻り、東に東蔵がある。
東蔵 江戸後期(1751-1829)
土蔵造、桁行5.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
物置などに古い農機具が陳列されている。
料理部屋
主屋内部、土間
台所と竈(かまど)
土間から室内に上がり、右回りに下座敷、鞘の間、上座敷、上段の間、お部屋、控の間、奥の間と見て行く。
前庭
庭
大蔵 江戸末期 文久元年(1861)
土蔵造、桁行9.6m、梁間5.8m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺
大蔵は陳列館として使用されている。パンフレット。
常設展示
テーマ展示、稼ぎ奉公
帰途、花など愛でながらJR竜野駅まで歩く。
参考資料
国指定文化財等データベース
西播磨観光協議会HP
永富家住宅パンフレット
Nov.2011 酒井英樹
兵庫県たつの市
撮影:2011年7月
永富家は伊賀の武士の出で、中世以来、下揖保庄の預所職にあったと伝え、享禄の揖保川氾濫後、現在地に土着し、やがて帰農したという。
寛保2年から庄屋を務め、龍野藩の御用金の用立てに尽力したこともあって、文化9年(1812)には苗字帯刀を許されている。
永富家は新在家の大家といわれた豪農にふさわしく、700坪に達する屋敷を構える。
建物も宝暦6年(1756)に瓦葺のものを建て、明和4年(1767)、文化11年(1814)に増改築を行っており、さらに文政3年(1820)には現在の主屋を新築した。
<主屋>
正面26.1m、側面18.1m、一部二階、入母屋造、本瓦葺
西北突出部 二階建、入母屋造、本瓦葺
江戸時代[文政3年(1820)]
《主屋内部》
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