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石川県金沢市 玉泉園(西田家庭園)
Kanazawa Gyokusenen(Nishidake garden)

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June 2010 撮影:中山辰夫 

金沢市将町8−3

兼六園と並ぶ金沢の代表的庭園:石川県指定名勝 
庭園として脇田家4代に及び築庭されており金沢では兼六園と並び称されている由緒ある庭園である。
下から上をながめてみれば最上段に兼六園を見ることができ、兼六園を借景にしている贅沢な庭園である。

この庭園は江戸時代初期から中期にかけて、脇田家親子が四代100年をかけて築庭したものである。
昭和34年(1959)に灑雪亭露地(さいせつていろじ)が金沢市指定文化財となり、昭和35年(1960)には全庭が石川県指定名勝となった。

金沢で最古の茶室である「灑雪亭」や裏千家茶室「寒雲亭」の席でお茶を嗜みながら見る景色は申し分ない。
お茶席では、金沢の和菓子として知る人ぞ知る「吉橋の和菓子」を食べることができる。但し一日10人まで。早い者勝ちである。

庭園を入って直ぐ右側に織部型隠れ切支丹(キリシタン)灯篭がある。キリシタン大名として有名な高山右近が加賀藩に身を寄せていたことも影響してかわからないが、キリスト教に比較的寛大であったといえるのか。

庭は幻の様式とされる、玉澗流庭園で全国に7ケ所しか確認されていないとされる。

金沢城にはかつて玉泉院丸という曲輪があった。加賀藩2代藩主前田利長夫人となった永姫の院号である玉泉院に因んだものである。
織田信長の四女に生まれ、前田家に入ったのは8才の頃だった。前田家はこの姫君を大事に遇したことは言うまでもない。
その人の名が一藩士の家の名称に与えられたから、これは凄いことである。

ここに屋敷を構えたのは藩士の脇田九兵衛直賢である。もともと直賢は豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、日本へ渡ってきた人物という。
その後武士となって加賀藩に仕えて1500石の知行を受けていた。
如鉄の号を持ち連歌を良くした直賢は、藩主にも厚遇され、茶会にも招かれた。
二代目の九兵衛直能は千宗室に師事して名手として聞こえ茶杓もよく削ったというが、この人が玉泉園のおおよその形を造ったとされる。
3代の直長もまた仙曳宗室門下で茶室も多く手がけた人であったとされる。
この脇田氏の代々が、素晴らしい名前を授けられたこの庭を受け継ぎ、茶室も充実させてきた。

明治38年(1905)、西田家の所有になり、5代目の当主までがさらに磨きをかけてこられた。
昭和46年(1971)財団法人西田家庭園保存会が設立され、当保存会が寄贈を受け一般公開された。

兼六園の北側にある眺望台から見て、一段下がったところに見える屋根の屋敷が玉泉園である。

庭内の池に注ぐ水は兼六園と同じ辰巳用水の水である。
このさわやかな水音と地を這う薄緑の苔、そして新緑の息吹が感じられる庭内を散策する。

西庭
一番新しく出来た庭園である。座敷から眺める景色にうっとりである。各所に石灯籠が立ち、飛び石がドンドン奥へと誘う。

織部型隠れ切支丹灯籠
当時禁制とされていたキリスト教を秘かに崇拝するため、隠れ切支丹が考え出したもので、伊勢松阪藩主織部之正が考案したとことからこの名がつけられた。
竿(さお)と呼ばれる灯籠の脚の部分に聖母マリアの像を刻み、これを植込み・樹景などで隠すことにより幕府の目を逃れた。
本灯籠は隠れ切支丹であった脇田直賢が当市郊外の戸室山に産する青戸石を用い、つくらせたものである。

筒胴型飾り手水鉢
立型手水鉢であるが中ほどにふくらみが泣く円筒形になったこのような形のものは全国的に珍しいとされる。
また、葦(あし)に蛙(かえる)を配した飾り陽刻(浮き彫り)も他に類を見ない。
広くとった庭園の片隅にあって落ち着いた雰囲気をかもし出しており、下草との調和も美しく玉泉園西庭における主体となっている。

本庭
池に面した座敷からの眺めは、どの方向をみても奥行きが深く感じられる。座敷前の軒内の景色ともよくつながり興趣に富んでいる。
軒回りにも趣味豊かな手水鉢と敷石・置石が配され堪らなく調和している。樹木の植込みも申し分ない。
池の正面から崖地を見上げると高く橋がかかり、滝の水落の景色も妙。ここから玉澗式というスタイルの庭とされてきた。
カメラのシャッターが自動的に押されている感じである。

寒雲亭(写)
裏千家茶室「寒雲亭」の写しで附書院をもつ八畳本勝手の席。
一間幅の本床に一畳の柳の間、竿縁・平・舟底で真行草を表した三段天井櫛形欄間はもとより、狩野探幽が宗旦の留守中に飲中八仙の絵を描いたが、あまりに急いだため仙人の指を左右逆にしてしまったという“手違いの襖”や同じ探幽の逆さ富士の絵までも佐々木泉玄によって模写されており、これほど本歌に対して忠実な写しは余り例がないといわれる。

越前国松平家伝来手水鉢
越前松平藩伝来の手水鉢で、桐葉の飾り陽刻がある。
蹲踞(つくばい)には台石と手燭石(てしょくいし)に能登産の滝石を、また湯桶石(ゆとうせき)に佐渡産の赤石を用いるなど、ぜいたくな配石がなされている。

東庭

東滝
崖地を利用して上下三段からなる珍しい滝組である。
中段滝の落とし口には高さ約2.5mの赤石を立てて蓬莱風を表わし、さらに下段滝へ流れをかなり長く導いたところは、江戸中期初頭の手法を残している。
滝の水源を兼六園曲水から取っているため、四季を通じて枯れることがない。

灑雪亭露地
崖地を巡る園路は曲折し、足元を水が滝となり渓流となり下の池目指して落ちてゆく。
この辺りは深山幽谷を歩む感である。この辺りにも灯籠が散見される。ところどころ銭屋五兵衛ゆかりの石灯籠などが建つ。
仙曳宗室による灑雪亭の小間まわりの露地は簡潔そのもので、雲竜を刻んだ手水鉢を配した蹲踞にも味がある。

灑雪亭茶室
外露地に面する八畳附書院(つけしょいん)の広間、六畳の水屋、一畳に台目二畳の茶席からなる。
茶室は内露地から向かって右に腰高障子の貴人口、その左手に幅・高さとも二尺二寸五分の板戸二枚引き違いのにじり口があり、内部は一畳と台目二畳で向切(むこうぎり)に炉が切ってある。
床は踏込みの板床で、床前に幅一尺二寸五分の松板が入り、床柱は赤松皮を用いるなど、仙曳好みの侘びを取り入れた簡素な造りとなっている。

朝鮮五葉松とノウゼンカズラ
樹齢約300年。作庭者脇田直賢父子が郷里朝鮮から持ち帰り移植したもの。
五葉松にからみついているのがノウゼンカズラで毎年初夏になると幹の先端に赤い花を咲かせあたかも花をつけたような異様な光景を見せる。

銭屋五兵衛灯籠
金沢が生んだ幕末の豪商、銭屋五兵衛が愛玩したと伝える、いわゆる銭五秘蔵の灯籠がある。これには貝雲堂の刻銘が入っている。
その他菊紋の入った灯籠もある。

玉泉園ないにある灯籠と石の一覧
庭園には50本近い灯籠が建つっているとのこと。さらに、石については400個を越えるともいわれる。

石井嘉之助氏の論文

参考資料《パンフレット、石井氏論文、庭、その他》



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