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石川県金沢市 成巽閣

Seisonkaku,Kanazawa city,Ishikawa

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金沢市兼六町1-2 成巽閣 重文 近世以前/住宅 江戸末期 文久3(1863) 一階謁見の間、謁見の間次の間、広間(階段の間)、廊下、清香書院(水屋付)、清香軒、松の間、蝶の間、蝶の間次の間、亀の間、亀の間次の間、十二畳半、十一畳、入側、縁、土庇、二階 群青の間、網代の間、越中の間、四畳半(床、棚付)、六畳、四畳、階段室、縁より成る、二重、各寄棟造、下重北面千鳥破風付、こけら葺 棟札1枚 19380704


May 2012 大野木康夫 source movie

April,2012 撮影

 


June 2010 撮影:中山辰夫 

金沢市兼六町1−2

重要文化財:歴史博物館:指定 昭和13.07.04(1938)

通りに面した正門は、白色の“海鼠壁(なまこ)”に囲まれ城郭を思わせる堂々とした外観である。

別名”巽(たつみ)御殿“・唯一残る大名屋敷で、12代藩主夫人の隠居所である。

兼六園と隣り合わせ。兼六園内に附属の赤い小門からも入館できる。

正門を入ると枯山水の玄関前庭があり壮大な御殿の佇まいが見られる。

その奥に2階建の建物が建つ。1階が書院造り、2階が数奇屋造りとなっており、1つの建物に2つの建築様式が組み込まれている。

江戸時代に建てられた大名の建造物が、そのまま残っているのは、全国的にもこの成巽閣だけとされる。

現在の姿は敷地約2千坪、建坪約350坪、2階建て寄棟造りの瓦葺であるが、竣工時もっと大規模だったといわれる。

ここでは、建造物及び藩政期の美術工芸品を公開している。展示品は各部屋、廊下のケースに陳列され、季節毎に展示替えが行なわれる。

居室内での写真撮影は禁止であるが、居室に面した3つの各庭についての撮影はOKである。

加賀工芸の粋を凝らした奥方御殿は、名勝庭園と共に国の重要文化財の指定を受けている。

武家屋敷の1階は花鳥をあしらった室内意匠が優美さにあふれ、2階は群青を中心とした数奇屋風書院造り。襖絵や欄間等随所に洗練された雅の世界、建築・工芸の粋が母堂を思う心使いに溢れている。

成巽閣は江戸時代末期、文久3年(1863)に前田家13代斉泰が母堂にあたる12代奥方、隆子君(剃髪して眞龍院)のために造営した奥方御殿である。隆子君はこの御殿の落成とともに明治3年(1870)に84才の生涯を終えられた。

構造形式:一階:一階謁見の間。謁見の間次の間、広間(階壇の間)、廊下、清香書院(水屋付)、清香軒、松の間、蝶の間、蝶の間次の間

 亀の間、亀の間次の間、十二畳半、十一畳、入側、縁、土庇、

 二階:群青の間、網代の間、越中の間、四畳半(床、棚付)六畳、四畳、階壇室、縁より成る、二重、各寄棟造、

下重北面千鳥破風付、こけら葺

今回の訪問時は、飛鶴庭が改修中で、観覧することが出来なかった。つくし緑庭園も観覧できた。

正門・辰巳長屋

正門は風格のある塀重門とし両袖に海鼠壁が続いている。辰巳御殿は文政5年(1822)竹沢御殿の外門長屋として設けられ物品および武具類が収められていた。

玄関前庭

玄関

千鳥唐破風付である。

居室内は撮影禁止である。各室には解説用テープと資料が配置されている。(資料写真より)

謁見の間

上段の間は、正面に床の間と違棚を並べ、左右に付書院と帳台構を対峙させた本格的な書院造りである。

謁見の間:欄間

檜の一枚板の透かし彫りで、極彩色の岩絵具を用いている。

亀の間腰板

床の間の方より、1枚毎に亀の数が増えている。

群青書見の間

天井は白群青、壁は紫、床壁は鉄砂が用いられている。

煎茶席:三華亭 鞘の間

ギヤマンの障子戸。棚の戸には花鳥染付の陶板など趣向を凝らしている。

三華亭の外回り

非常に繊細な、丁寧なもの造りがされていることがわかる。清香書院・成香軒の内部と同様の造りで、軒の竹棒・木棒においても一本一本材料を変えて、味を持たせている。

成巽閣の周囲にはそれぞれの居室に面して庭が設けられている。

中心となるのは三つで、飛鶴庭・つくしの緑庭園・万年青の緑庭園である。

この三つの庭に共通するのは辰巳用水を遣水として用いてることである。

もともとこれは金沢城の防火用水に、城から10km程離れた犀川上流の辰巳から引いたものである。

築造したのは3代藩主利常の時代で、寛永9年(1632)のころである。

前年起こった大火で城が焼け落 ちた機会に、用水工事の名手であった町人板屋兵四郎に命じて短期に作らせたもので、それを庭にも利用した。

飛鶴庭

謁見の間の裏にあたる清香書院・清香軒に面して作られた平庭である。軒近くを流れる遣水のカーブの美しさがたまらない。

軒内を斜めに走る延段や飛石、鮮やかな色の石をよせた沓脱石も目を引く。

書院前には江戸時代の金工として著名な後藤程乗作になる六地蔵の手水鉢が程よい場所を占めている。

つくしの緑庭園

蝶の間前にはつくしの廊下が走り、その外に20mにおよぶ一本の柱もないつくしの縁が続く。

蝶の間から庭を見たとき美しく全景がながめられるようにとの配慮から省かれた柱である。

縁側の軒先ははねぎを用いた梃子の原理で支えられている。その前に、つくしの緑庭園は、すっきりした姿を横たえている。

庭は平面形式で縁に平行して遣水がゆっくり流れる。松や紅梅・紅葉を植込み石燈籠を添えて、景色に重みを出している。

つくしの縁

縁側の軒先は“はねぎ”によって支えられているので、庭を開放的に眺めることが出来る。

はねぎは約40cm角、長さ10m余りの松材で、これを2m間隔に組み入れ梃子の原理で屋根を支えている。成巽閣の大きな特長といえる。

万年緑庭園

亀の間前の庭園で、大小の築山を配した手前を遣水が走り、清々しい水音が耳に響く。

松を中心とした植栽もまとまっており飽きがこない、やさしい景観をなしている。(写真は一部、つくし緑庭園に含まれる)

これらの庭の優美さを維持するのは大変な仕事で、昔からの姿を壊さないようにと考えると苦労の連続とのこと。

観覧料収入しか見込めない中で、文化財の保護と活用については課題・難問が山積であるとのこと。

赤門

兼六園の一角に壁で仕切られた赤い門がある。

それは一見して兼六園に付随しているようでもあり、まったく別個のもののようにも感じられる。

それが成巽閣への通用門で、兼六園ともゆかりの深い建物への入口である。

その他

参考資料《パンフレット、国文化財データーベース、庭、絵はがき、他》


Sep.2008 撮影:瀧山幸伸 source movie

Nov 2004 撮影:瀧山幸伸  source movie

文久3年(1863)十三代藩主が母の隠居所として建築した。

二階建て、寄棟、こけら葺 江戸時代末期武家建築の代表

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