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石川県七尾市 能登島

Notojima,Nanao city,Ishikawa

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May 10,2017 瀧山幸伸 source movie

須曽蝦夷穴古墳

Suso Ezoana kofun

史跡

能登半島中央東部の七尾湾内に能登島とよばれる島がある。須曽蝦夷穴古墳は、この能登島南部の須曽集落背後の山中にある標高約80メートルの丘陵尾根上に位置する。この古墳の付近には、これまで他に古墳は発見されておらず、孤立的な存在となっている。

 古墳は、一辺25メートル、高さ4.5メートルの方形墳で、方位を南北方向にそろえている。内部主体は海に向って南に入口を開けた横穴式石室が2基設けられ、両者は正しく並行しており、古墳築造時に計画的に構築されたと考えられる。

 2基ある石室のうち、東側が雄穴、西側が雌穴と呼ばれ、両者とも古くから開口され、雄穴は羨道部の一部が、雌穴は羨道部と玄室の一部が既に崩壊している。本古墳の特色はこの石室の構築法にあり、両者ともいわゆる磚槨式石室であり、平面形も雄穴はT字型、雌穴は逆L字型という通常見られない形を示している。石室の構築法は、両者とも同じで、石材は能登島産の玄武質岩板石を用いている。側壁最下段は大ぶりの板石を縦方向に用い、その上に板石を小口積にしている。天井は、四壁が内側にせり出し、隅部はいわゆる三角状持ち送り式に近い手法を用い、1枚の天井石を載せている。底面は大半が抜き去られているが板石を敷きつめたと考えられる。また、羨道部中ほどの底面には、板石を縦に用いた間仕切様の施設が設けられ、雌穴では玄室と羨道との境にも同様なものがある。

 古くから開口していた故か、玄室からの出土品は不明であるが、昭和27・28年の調査の際、雄穴羨道部から鉄鏃・刀子・須恵器・土師器、雌穴羨道部から直刀・鉄鏃・須恵器が発見された。これらの出土遺物から、本古墳の築造年代は7世紀中頃と考えられ、北陸地方における横穴式石室墳の末期に造営されたものといえよう。

 本古墳の特色は、平面形がT字型あるいは逆L字型の磚槨式横穴式石室を有するという点にあり、このような古墳は北陸地方、または中部地方にはまったく見当らないものである。

 同形式同時代の古墳としては、これまで知られているものに奈良県桜井市忍坂9号墳があり、何らかの関連があったと考えられるが、詳細は不明である。本古墳の位置が能登島という北陸地方の日本海沿岸の小島であることと北陸を含む中部地方における唯一例であることを考えれは、朝鮮半島とこの地との間に何らかの文化交流があったのかもしれない。

(文化財データベース)

                                                                 


Nov.20.2014 中山辰夫

宇水から能登島経由で七尾市に向かう。粗っぽい散策であった。

国道249号線を宇出津方面から七尾市に向かって走る。車窓左手に立山連峰が見える。道中ず〜と見えていた。穴水湾の一部が見えた。

    

●穴水町である。

石川県鳳珠郡穴水町

   

穴水町は石川県・能登半島の中央に位置する。(能登半島先端部及び基部からそれぞれ約50km) 金沢市から約90km。

交通は能登鉄道と国道249号線が通じている。のと里山海道の終点で輪島市、珠洲市、能登町に向かう分岐点である。

2003年に開湾した能登空港。空港所在地は輪島市であるが、滑走路の大半が穴水町地内であり、穴水町市街地は空港から最も近い市街地である。

南部は七尾北湾の北辺をなし、波静かなリアス式海岸である。頭部は富山湾に面する。

昭和63年には、環境庁主催の「星空の街」「あおぞらの街」の一つに選ばれた。

国民保養センター・キャッスル真名井

昼食に立ち寄った所である。湾内が見渡せた。

   

穴水湾は波静かであった。

       

近くの民家。門の欄間がよかった。 造成中、将来は観光施設になるのか?

         

のと鉄道 穴水駅

鳳珠郡穴水町字卜33

          

駅の愛称は「まいもんの里駅」 能登弁で美味しいものを「まいもん」という。

駅に入ると、売店から電車の内外まで「永井 豪」と「遠藤」の世界。

ここ穴水は、「春のいさざ」「夏のさざえ」「秋の能登牛」「冬のカキ」と四季を通じて、旬の味覚が魅力で、町あげての「まいもん祭り」は有名。また、ここから先の奥能登地区は、まいもんの宝庫とされる。波静かな七尾湾ではカキの養殖、年4回「穴水まいもん祭り」が行われる。江戸時代発祥と伝わる穴水伝統の「ボラ待ち漁」やイサザ漁の面影は、観光用のやぐらからたのみ。

   

能登鉄道の旅?穴水駅〜能登鹿島駅

        

国道249号が並行して走る。鹿島駅構内は桜の名所。約100本のソメイヨシノが咲き誇る駅は別名『能登さくら駅」とも呼ばれる。

能登鹿島駅〜西岸駅

         

いよいよ七尾湾に近づく。高台からは七尾北椀が一望できる。かきの生産地でもあり、「かき棚」もみえる。

アニメ「花咲くいろは」にでてくる「ゆのさき駅」のモデルになった駅である。

西岸駅〜深浦近辺

七尾市中島町外

        

中能登農道橋 

           

愛称を「ツインブリッジのと」と称される中能登農道橋で、七尾市の中島地区と能登島地区を結ぶ斜張橋。能登島で2本目の橋、

全長:620m、幅員:車道6.5m、歩道1.5m中島側の横に長浦ふれあい公園がある。橋の上から七尾湾ウイ浮かぶ小島や対角線が眺められる。

遠景

 

●能登島へ到着である。

能登島は、石川県七尾市の七尾湾を塞ぐ形で浮かぶ島。面積46.78km²。周囲長71.9km。

 

石川県能登島ガラス美術館及び能登島ガラス工房

    

公立では国内唯一のガラス芸術専門の美術館。ピカソやシャガールの原案によるユニークなガラス彫刻や中国清朝ガラスなどが展示されているほか、屋外では14点のガラス彫刻の季節や天候、時間によって変化する様子が楽しめる。

海を望む丘に建っており、宇宙基地を彷彿させるような建物がみられる。

道の駅 のとじま

 

能登島の中央に位置し、観光客はもとより地域住民や近隣住民のための広域交流の賑わいの拠点とされる「道の駅」。美術館と隣接している。

能登島大橋

石川県七尾市

         

七尾市の能登島地区から和倉温泉地区へ至る、県道47号線の上、七尾湾の屏風瀬戸(びょうぶせと)に架かるPC橋。

石川県で最も長い橋である。全長:1060m、幅員:8.4m

橋の中央が盛り上がっている。歩いて渡ったのは夕刻、16:30頃で、日が沈む時間であった。

早朝の遠望

 

●大橋を渡ると七尾市の市内となる。

七尾市の由来

七尾城は、七尾湾を一望する城山(標高約300m)を中心に、7つの尾根に曲輪(くるわ)を配した大規模な山城だった。ちなみに、「七尾」の地名は、この7つの尾根に由来するともいわれる 。能登国守護の畠山満慶(七尾畠山氏初代)が正長年間(1428〜29年)ごろに築いた。

 

能登島

七尾湾西湾の朝(石崎町香取より見る)

向かって右側遠方に能登島大橋、左側遠方にツインブリッジが見える。

        

山の寺寺院群と瞑想の道

   

前田利家が天正年間に能登一国を領して子丸山に城を築いた際に、奥能登方面からの防御陣地に転用する目的で、真宗寺院を除く各宗派寺院を配置したのが始まり。

当時は29ヶ寺あったが現在は16ヶ寺のみ現存している。この現存する16ヶ寺には、今なお趣き深い伝承や寺宝などが多く残り、これら山の寺寺院群を繋ぐように整備されたのが「瞑想の道」である。

長齢寺

七尾市小島通り部52 山の寺歩道内

    

前田利家が石川・富山で一番最初に創建した菩提寺。加賀百万石藩祖両親の菩提寺である。 

由緒

  

前田利家公両親の墳墓と利家公兄前田安勝港とその子、利好公の墳墓及び宝篋印塔(供養塔)

    

本堂内部

     

長い間無住寺であった。檀家はゼロ。25年になる現住職が荒れた寺を復興させようと努力されてきた。

   

宝物殿

歴史を物語る品がたくさんある。

絹本著色前田利春春画像:国重要文化財と絹本著色長齢夫人画像:県指定有形文化財

  

紙本著色前田利家画像:重要美術品と絹本著色前田安勝画像:市指定有形文化財及び絹本著色前田利政画像:市指定有形文化財

   

境内

   

小丸山公園

七尾市馬出町

前田利家が金沢に築城する前に七尾で築いた小山丸城の跡地を公園にしたもの。七尾城下を見守るようにして「利家とまつ」像が建つ。

現在は池や石碑のある庭園として整備され、市民に広く親しまれている。また、春は桜、初夏はツツジの名所として有名。

                

一本杉通り

七尾駅前を流れる御祓川に架かる仙対橋から光徳寺までの450mのまっすぐな通り。約50店舗余りの店が並ぶ。建物は元来寄棟造の長屋で、いくつかが登録文化財の指定を受けている。

     

●●町家を中心に街なみ散策

●リフォーム前田(勝本邸 :杉森久英(直木賞作家)が育った家) と北島屋茶店 何れも国登録有形文化財

    

勝本邸.: 明治30年頃 木構造二階建(腕木構造) 外観 明治末の大火以前の 伝統的な七尾町屋の風情を伝えており、内部の吹き抜けに見る骨組みや雰囲気など 保存状態は良好である。

北島屋茶店 : 明治37年頃 木造二階建、明治38年の七尾の大火を免れた数少ない建築物であり、伝統的な腕木構造を伝える典型的な七尾町家である。

●光徳寺

    

中世、一向衆(浄土真宗門徒)によって加賀が支配されていた頃、一向衆をまとめる中心的な大旦那寺の1つとして勢力をもっていた。

元々は加賀守護・冨樫家の菩提寺で、住職も冨樫家系の者であった。(現在の住職も富樫姓を名乗る)。

●御菓子処・花月と花嫁のれん館

    

花月は創業111年・明治39年築の店舗で今3代目。

「花嫁のれん」とは、幕末明治のころより、旧加賀藩の能登・加賀・越中に根づいた独自の民衆に受け継がれる風習で、花嫁は加賀友禅で描かれた吉祥模様の美しいのれんを婚家に持参し、花婿の家の仏間の入り口に掛ける。両家の挨拶を交わした後、花嫁のれんをくぐり、先祖の仏前に「これからよろしくお願いします」とお参りしてから結婚式が始まる。のれん館はその常設館。毎年ゴールデンウィークに「花嫁のれん展」が開かれる。

●茜屋(コーヒー店)と多田邸(旧上野啓文堂)

  

茜屋は、一本杉通りの町並みに溶け込む、大正モダンな佇まいが素敵な店。

多田邸(旧上野啓文堂)は、国登録有形文化財で、万年筆の形態を造形化したユニークな外観を持った看板建築。創業者上野啓による デザインと伝えられる。昭和初期の七尾における近代建築の象徴的な建物である。戦時中は 出征する多くの学徒が万年筆を買い求めた。

●鳥居醤油店

  

国登録有形文化財 

木造二階建 土蔵造 藩政時代から商家として和菓子製造を営んできたが、明治38年の七尾の大火で消失。明治41年に再建された現存する土蔵造の七尾町家の数少ない一つである。代々、大森屋の屋号で和菓子屋を営んできたが、大正14年、醤油製造業に転業し現在に至る。

●しら井と高澤ろうそく店

     

しら井は、創業80年の老舗 北前船の寄港地七尾の昆布屋で昆布ロードと昆布の話が聞ける。

高澤ろうそく店は、国登録有形文化財。 明治43年 木造二階建 土蔵造。明治38年の七尾の大火後に普及した土蔵造りによる七尾町家で、その典型的な形として重要である。重厚で情緒ある土蔵造りは、現存する数少ない一つである。平成8年、店舗二階にろうそくミニ博物館を開館する。

●きもの処・凛と高澤勇吉商店

   

高澤商店、軒上に古い看板3つ見えるも、店内にも珍しい看板などが沢山飾ってある。また2階には花嫁のれんを常設展示している。

●「呉服。洋服 松本」

 

創業101年、親子4代にわったて受け継がれている伝統的な店

一本通りでは、「ふれあい観光 語り部処」と称して、各お店のご主人、女将、従業員、などによる語りを聴くことが出来、体験もできるようになっている。

●衙祓川の仙対橋周辺

仙対橋は、七尾中心部のランドマーク的存在で、一本杉通りへの「入口」でもあり、紅い欄干がひときわ目につく。

橋のパネルには奉納三町の鍛冶町・府中町・魚町それぞれのでか山が描かれている。

    

仙対橋の欄干には七尾市の祭り青柏祭の3台の山車(鍛冶町、府中町、魚町)が描かれている。

そのデザインで分かるように仙対橋のテーマ名は「まつりの橋」。衙祓川には4本の橋が架かっており、夫々歴史がある。

大通り

 

デカ山

若葉萌える5月に行われる大地主神社(山王神社)の例大祭で、能登地区最大の祭礼。高さ12m、重さ20tの日本一大きな山車「でか山」3台が狭い町なかを曳き廻される

衙祓川大通り

     

柳は2003年に寄贈されたもの。

三角公園

  

毎月第4日曜日に行っている「七尾のじ☆マーケット」の朝市の開催場所である。

●能登食祭市場——七尾フィツシャーマンズ・ワーフ

1は能登ならではの鮮魚や塩干物、珍味をはじめ名産品や工芸品などを多数そろえて販売している。寿司や浜焼きもある。

2Fグルメ館は季節折々の地元食材を生かしたメニューをそろえている。

         


Sep.2009 瀧山幸伸 source movie

                                    

Nov 2006 source movie

     

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