石川県輪島市内
Wajima downtown.Wajima city,Ishikawa
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Aug.7, 2016 瀧山幸伸 source movie
May 15,2014 中山辰夫
鴨ケ浦付近
249号線を走る。輪島市内に入る直前にある。絶景の海岸線である。
■木の葉トンネル
鴨ケ浦遊歩道の手前にある。手掘り&コンクリ吹きつけの短い隧道。照明はない.道内離合は困難な狭いトンネル.
鴨ケ浦
海に大きくはり出した輪島岬の最北端に位置する「鴨ヶ浦」。波が荒く、その海蝕によってできた白い岩場が、東西約400メートルに渡って連なる景勝地です。一直線の水平線が眺められ、晴れた日には七ツ島が見えるという。
輪島随一の海岸美を誇る景勝地で、猫の地獄と呼ばれている岩を中心とした岩礁海岸が開けている。地質学的には砂岩の陸地を海水が洗いさって残ったものだと云われる。
鴨ヶ浦を一周することができる200mほどの短いコース。海蝕作用でできた白っぽい岩がみられ、「猫地獄」「像の鼻」「大蛇の背」など、ユニークな名前の付いた岩がたくさんある。冬になると波の花が見られる。
昭和33年に昭和天皇、皇后両陛下が行幸啓され、そしてこの岩頭に立たれて詠まれた御製「かつきして あはひとりけ里 沖つへ能 舳倉島より きたるあまらは」(かづきして鮑とりけり沖つ辺の舳倉島より来る海女らは)の歌碑を中心に、輪島築港の功労者である輪島町長熊野熊次郎の顕彰碑や大谷句仏の句碑や、宮中歌会初めの入選歌碑などが建てられている。文学散歩にも最高の場所として評価が高い。
熊野隈次郎顕彰碑
大正 6 年には輪島築港の先駆者の 1 人で、町長にも就いた。
弁財天と金毘羅社
輪島市内の入口に立つ。
May 16, 2014 輪島市内散策
■■案内
河原田川と鳳至川が合流して輪島川となり日本海に注ぐ。輪島はその河口部両側に出来た町である。
輪島川(新橋付近より)
■■朝市通り
新旧の輪風の家が並ぶ街並みである。朝市の開かれる通りでもある。6時半ころから開店の準備が始まる。
通りの目だった建物中心に写す。
■市姫社
輪島市河井町
市姫社は朝市と歩みを共にし、そうめん産地の歴史を物語る挽きうすを祭神としていて、素朴な信仰を今に伝えています。市姫神は古来、市の発生とともに「商人開運」の神として人々に崇められてきた。
■■輪島川沿い
いろは橋と揚がった魚目当てのカモメが騒ぐ。
■輪島港
漁を終えた船がビッシリ埋めている。 漁師の家並みが続く
■輪島前神社
輪島市輪島崎町1−200
輪島崎町の氏神として天満宮系の祭神を祀る古社で、年間30数回の祭事が執り行われる。特に国指定の重要民俗文化財の「面様年頭」行事は、奥能登の渡来神信仰の原点とも目される神事として重視されている。その他、本殿・懸仏・鼻高面・髄神像など、多数の市指定文化財を社蔵している。
■■鳳至上町通り→昔ながらの古い建物が数多く残る町並み。
この地区は景観重点地区に指定されている。
■奥津比咩(おきつひめ)神社
輪島市の西の端、東に輪島港、西に袖ヶ浜海岸を見下ろす風光明媚な公園、それが鳳来山公園である。山の名前は「鳳来」であるが、所在町名は「鳳至(ふげし)町」である。その山の麓に神社がある。輪島港を見下ろす位置に鎮座している。
1975(昭和50)年に、輪島沖合50kmに浮かぶ舳倉島(へぐらじま)にある本宮・奥津姫神社から分祀された里宮である。
階段の上から見えるのは輪島港。中でも手前の海士町は漁師町の家並みがよく残っており朝市が開かれる街並みとは異なった雰囲気がある。
階段下には、国守大友家持が能登巡行の際に詠んだ歌碑がある。
沖つ島 い行き渡りて 潜くちふ 鰒珠もが 包みて遣らむ
■舳倉島(へぐらじま)
輪島の沖合50kmに浮かぶ舳倉島は、古くから夏の間だけ海女は移り住んで漁をする島だった。中世の末期に筑前国鐘ケ崎(現福岡県玄海町)より能登国に渡来した海士又兵衛以下十三名がやがて舳倉島を根拠として漁業を営むようになった。奥津姫神社が祀られている。彼らは深く当社を崇敬し海士の故郷宗像大社の信仰をうけて産土神と仰ぐようになった。
■永福寺
宗派:曹洞宗 奥津比咩神社を通り越して少し行くと、禅寺の永福寺がある。昭和29年に高浜虚子が門人七人と輪島に来て大句会を開いた。この時、輪島の俳人が百二十人も参加したと言われる。
■住吉神社
主祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后
由緒
本社は延喜式内鳳至比古神社と伝えられ人皇十六代仁徳天皇三十二年住吉大神を能登に初めて奉斎し海上鎮護万民守護の大神として尊崇せられ一国の大宮として武門武将の崇敬厚く社殿の道営金品の寄進はしばしばなり、また古来大宮と俗称せられ今例祭を大宮祭と称してその祭礼市を大宮市と唱え鳳至町二千有余の産土神と仰がれるばかりでなくこの地方の大宮として衆庶の尊崇を集めてきたのである。
始め当社は大屋庄御霊地山に鎮座され神宮司を鳳至院と称し壮大を極め神部十二員の居邸等の旧跡今に残り、釈迦堂・仁王堂の地名に往昔の盛況を証するが近古水難兵乱のために現在地に移し奉ったものである。
現社殿は寛文十年建造されたもので特に本殿は高欄をほぼ徳川期の建造物としての面影を遺憾なく発揮し神社建築の等地方での代表的建物である。
現在共に輪島市重要文化財に指定されている。
≪社頭掲示≫
住吉神社は重蔵神社(河井町 )とともに輪島を代表する神社として双璧を成す。夕市や輪島大祭の舞台として知られ、 市の有形文化財のほか「能登輪島住吉神社文書」が石川県の有形文化財に指定されている 。
境内社:市姫社
夕市
住吉神社境内で15時頃から行われる市。朝市に比べて店の数は数軒と少なく、市民に夕食の材料を売るための市だ。
鳳至上町通利の街並み
輪島新橋を渡る(新橋東)とR249号線に沿って両側が中央通りとなる。
■■中央通りまん中商店街
■輪島漆器会館から河井中央交差点辺りまで
■■重蔵神社付近
■足湯「湯楽里 ゆらり」
輪島工房長屋の近くにある。
■重蔵神社
重蔵神社は住吉神社とともに輪島を代表する神社として双璧を成す。社歴は古く、1921(大正10)年に二千年祭を執行した。
■輪島大祭と重蔵神社大祭
輪島大祭は奥津比咩神社大祭(8月22日、23日)、重蔵神社大祭(8月23日)、住吉神社大祭(8月24日)、前輪島神社大祭(8月25日)の4つの祭りを総称している。その中で夜に行なわれるキリコ祭りは重蔵神社大祭(8月23日)、住吉神社大祭(8月24日)、前輪島神社大祭(8月25日)である。夜に行なわれる輪島大祭では、キリコが回転したりする暴れがあったり、火のついた松明が倒れた時に御幣を奪い合うというのはどの祭りにも共通している。
輪島大祭で規模が一番大きいのは重蔵神社大祭であるが、住吉神社大祭は橋の上でキリコが走ったり御神事太鼓の演奏が見られ、輪島前神社大祭では鯛の形をした神輿があったりキリコが何度も街中を走り回るなどと、輪島大祭の各祭りには、おのおの特徴がある。
重蔵神社大祭は規模が一番大きいという特徴の他に、火のついた松明が倒れた時に御幣を奪い合うというクライマックスが2度あるのも特徴である。
■■馬場崎通り
この地区は景観整備重点地区に指定されている。アワビの貝殻を敷き詰めて出来た歩道と新しい輪風の町並みが道路の両側に連なり景観が素晴らしい。
■■わいち通り〜朝市
朝8時頃のためか出店も少なく、客も少なかった。
July 2011 瀧山幸伸
June 2010 瀧山幸伸
Nov 2006 瀧山幸伸 source movie
朝市
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