石川県輪島市 時国家
Tokikunike,Wajima city,Ishikawa
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輪島市町野町南時国13-4 上時国家住宅(石川県輪島市町野町) 米蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 安永8(1779) 土蔵造、桁行10.9m、梁間6.4m、切妻造、桟瓦葺 20031225
輪島市町野町南時国13-4 上時国家住宅(石川県輪島市町野町) 納屋 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸末期 桁行14.6m、梁間4.6m、二階建、切妻造、桟瓦葺 20031225
輪島市町野町西時国2-1 時国家住宅(石川県輪島市町野町) 重文 近世以前/民家 江戸中期 18世紀中頃 桁行24.2m、梁間14.7m、入母屋造、茅葺、四面庇付、桟瓦葺 19630
Sep.11,2019 瀧山幸伸
上時国家
Kamitokikunike
上時国家
輪島市町岡町西時国2−1
国指定重要文化財(建物):名勝(庭園)
■位置
■由緒
平家滅亡の際、平清盛の義弟平大納言時忠は神器の帰座の功で特別な計らいを受け、能登に流配となり配所で没した(およそ800年前)。その子時国を初代として第二十五代目の当主が、現在もこの屋敷と伝統を守っている。江戸初期から300石の豪農として天領大庄屋を務め、江戸後期に21代当主が現在の巨大で格式高い屋敷を28年かけて建造した。
築後約300年の威風のある書院造りの屋敷である。40坪の大土間に立つケヤキの大黒柱が目を惹く。庭園の一角には、壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇を祀った社がある。
上時国家は,中世以来奥能登地方に強大な勢力を誇った旧家である。近世には奥能登にあった幕府領の大庄屋をつとめた。上時国家住宅は, 天保2年(1831)頃,現在地に屋敷を移し,主屋をはじめとする諸建物は安政4年(1857)頃までに完成したと考えられる。西面して建つ主屋は,桁行29.1mの大規模な建築で,入母屋造,茅葺の身舎の周囲に桟瓦葺の庇を廻らした形式である。主屋の北方には,土蔵造,平屋建の米蔵,北西には細長い2階建の納屋がある。
上時国家住宅は,奥能登における村落支配の拠点となった特権的な家の住居で,主屋は大型の民家が多い北陸地方にあっても最大級の規模を有している。
手の込んだ造りの室内の造作や座敷飾りとともに,土間廻りに豪壮な梁組をみせ,江戸末期の民家の一つの到達点を示す遺構として重要である。
■アプローチと外観 最大級の木造民家である。
およそ300年前に建造された。完成までに28年を要した。建坪189坪。入母屋茅葺の大屋根、高さは18m、玄関は唐破風、總ケヤキ造りである。
巨大さとともに手の込んだ造りが随所にみられる。
■玄関から居間へ
通された部屋には「平家定紋「丸にあげは蝶」を金箔で描いた襖が目に入る。
■主屋 重要文化財指定
江戸末期/1831
桁行29.1m、梁間18.1m、一部二階、入母屋造、茅葺、四面庇付、桟瓦葺、東面突出部 桁行10.2m、梁間10.3m、切妻造、桟瓦葺、
■内部は大きな広間が続いて並んでいる。「上の間〜上広間〜伺いの間〜御前の間〜」 展示品が陳列されている。名品が多い。
■大納言の間「別名御前の間
書院造りである大納言の格式を表わす縁金折上格天井。加賀百万石(中納言)も天井に紙を貼ってから入室されたと伝わる。
■座敷の境上部…「欄間」
両面彫りの欄間を飾り、御前の間の欄間は蜃気楼を描いた珍しいものである。
■その他の目を惹いた意匠・・・手の込んだ造りが見られる。
■下広間
■土間
上部の梁は松の心材だけを使い、その周囲は約2m。屋根最頂部の内側が見える。
■■庭園周囲
国指定名勝
鎌倉時代の様式とされ、平池には心字池を配し、又高庭は自然の地形を巧みに利用した独特の作風とされる。池泉回遊式庭園
≪参考≫
平時忠
平時信の長男として生まれ、清盛の妻、時子の弟であり、清盛の義弟にあたる。出世を重ね権大納言にまで昇進した。
平家一門では平清盛を補佐しつつも実権を一手に担った参謀で、平清盛亡き後、平家の実質的な指導者であったと言われる。平家の全盛を称え、「平家にあらずんば人にあらず」の有名な言葉を残した。
壇ノ浦で捕えられたが、三種の神器の一つ「神鏡」を守った功績により、死罪は免れ能登に配流になる。その4年後、能登の地で生涯を終えたとされる。壇ノ浦で捕虜となった後に、時忠は娘を義経に嫁がせることで庇護を得ようとした。義経が承諾した理由は不明確だが、婚姻が成立したため、義経とは義父の関係にある。その子時国は、近隣の村々を統合し、館を構えた。第21代当主は、現代に残るこの豪壮巨大な屋敷を築き、第25代当主が現在も屋敷と伝統を守っている。
■■高田寺
上時国家と下時国家のほぼ中間地点に建つ。菩提寺である。
木造阿弥陀三尊像・木造高田寺釈迦・薬師・阿弥陀如来座像
木造阿弥陀三尊像 (3躯)
平安時代後期
県指定文化財 昭和58年1月25日指定
高田寺は、平時忠の末裔と伝えられる上・下両時国家の菩提寺である。本尊毘沙門天、左の仏間に釈迦・阿弥陀・薬師如来の三仏が安置されてある。毘沙門天は、四天王の一つで、北方の天主として、古来、北方鎮護・仏法護持の守護神として信仰されている。「仏説毘沙門天王経」に、毘沙門天王は、過去仏・現在仏・未来仏に「我今帰依」とあり、ここに安置されてある三仏も、これに基づく信仰の所産であろう。薬師・釈迦如来像の台座には、それぞれ木製修理札が挿入され、時国又七郎が延宝8年(1680)に父母の菩堤のために修理したことが知られる。阿弥陀如来像も同様と思われるが、延宝の修理札を欠き、嘉永6年(1853)の修理札を有する。3体とも、表面の彩色が剥落しているため寄木や木割が明暸に観察できる。用いられている尺度や寄木法、さらには衣紋などに、それぞれ若干の差違があるが、いずれも平安時代後期の穏やかな作風をもつ。
昭和60年「石川の文化財」より
所在地:石川県輪島市町野町南時国
訪問日:2012.06.07
平家まで遡ることのできる時国家の歴史。流された能登で豪農として近隣を支配していました。
現在の建物は1830年に完成したものとされています。
残念ながら、修繕工事中で庭には鉄パイプが林立し、シャッターを切る気になれませんでした。
June 2010 柚原君子
June 2010 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
Nov 2006 瀧山幸伸 source movie
夕暮れ時の光景
下時国家
Shimo Tokikunike
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Nov 2006 瀧山幸伸 source movie
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