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岩手県大船渡市 吉浜

Yoshihama,Ofunato city,Iwate

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Jan.2012 瀧山幸伸


June 10, 2011 瀧山幸伸 source movie

津波調査

津波被災区域図 越喜来 (日本地理学会)

提言:安全安心なサステナブルシティ

■ 津波被害を免れた吉浜の教訓

昭和4年生まれで昭和三陸津波も経験した、柧木沢(はのきざわ)さんのお話 source movie

柧木沢さんが4歳のとき、昭和三陸津波に遭遇した。真夜中、父親におんぶされて避難した記憶が残るという。ゴオーーというすさまじいうなり音に夜も眠れなかったそうだ。彼が話す吉浜の教訓とは、、、

かつて明治三陸津波が来襲する以前には、現在の県道よりも低い地域の浜辺を通る道路が主要道路で、浜辺一体の現在農地となっている区域に村の中心部があり、全体で千軒ほどあったという。明治の津波で二百から三百軒が飲み込まれた。それを教訓に、当時の村長の指導のもと、村を安全な場所に創り直す事業を行った。まず道路を津波が来ない高台に付け替えたのが現在の県道で、集落の中心部で標高17m程度である。それは大きく半円を描いて浜辺を迂回している。村はこの県道よりも低い土地には家を建てないように規制を行った。その結果、昭和三陸津波、チリ地震津波、そして今回の津波でも集落はほとんど被害を受けなかった。実際、今回の津波は県道の下ぎりぎりまで到達しており、この教訓に従わず県道よりも下に家を設けた数件は一部津波の浸水を受けた。対岸の浜辺近くの低地に建てた民宿(三階建て)は津波で跡形も無く流された。海岸の堤防はもちろん、美しい松林も津波に飲み込まれてしまったが、吉浜の集落は残った。他の地域の人々も吉浜の教訓を活かしてほしかった。

というのが柧木沢さんのお話の骨子だ。

昨日の6月9日、津波記念碑が発見された。柧木沢さんは浜辺の橋のたもとに津波記念碑が埋まっているのを記憶していた。この石碑は昭和三十年代の道路工事に伴い、工事の邪魔になるからと壊すか埋めるかの決断を迫られ、結果として埋められてしまっていたのだが、今回の津波で浜辺の橋が崩壊し、取り付け道路も崩壊してしまったため、3mほど下の旧地盤から津波記念碑が顔を出したのだ。石には「津波記念」という文字が深く彫られている。これが明治の津波のものか昭和の津波のものか定かではないが、すぐに完全に復元されて検証が進むだろう。改めて先人の教えを守り伝えることの難しさを痛感した。

参考資料 

・三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960

 http://d.hatena.ne.jp/meiji-kenchikushi/19490101/p1

・防災情報

 http://www.bousai.go.jp/

吉浜の集落中心部 (高台を走る県道沿い)

県道から浜辺へ

低地は農地に利用されていたため人的被害は無かった。

柧木沢さんにお話を伺う

人家の足元まで津波が襲来した

浜辺を迂回する県道沿いに走る

県道、谷の最も奥 川原集落から浜辺へ

破壊された橋と堤防

橋のたもとから出てきた震災記念碑

越喜来

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