香川県東かがわ市 引田城
Hiketa castle, Higashikagawa city, Kagawa
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March 7,2020 大野木康夫 source
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所在地 香川県東かがわ市引田字川向
国指定史跡(令和2年3月10日付け告示)
香川県の南東部,阿波との国境を画する阿讃山脈の北麓,引田港の北側にある岬状に突き出した城山に所在する城跡。
長宗我部氏による讃岐侵攻の際には,重要な軍事拠点となったことが知られ,天正15年(1587)には生駒親正が入城したとされる。
生駒氏は,その後,高松城,丸亀城を築き,引田城はこの二つの城とともに生駒氏による領国支配の拠点となり,寛永19年(1642)までには廃城されたと考えられる。
城跡は,山頂付近の曲輪群,鞍部から山麓部の屋敷地・大手道・貯水池などの諸施設からなり,そのいずれもが良好な状態で残る。
各曲輪は馬蹄形を呈する尾根頂部を巧みに利用し,大手道から突き当たった北二の丸・南二の丸を中心としてU字形に計画的に配置されている。
また,各曲輪の石垣は野面積みを基調とし,総延長は約600mに及び,その形状や出土遺物からして,これらは慶長期(1596~1615)に整備されたことが分かる。
慶長期の城郭が良好に保存されているだけでなく,瀬戸内海の交通の要衝地,国境付近という軍事,経済上の拠点に立地する生駒氏による領国支配の拠点の一つであり,豊臣系大名の経済・軍事政策や領国支配体制を知る上で重要である。
(令和元年11月11日付け文化審議会答申より)
各種説明版
引田港側の登城口から登城
本丸石垣
10分ほどで到着します。
大粒の切り石を使うなど、高い技術が見られます。
尾根筋を天守台へ
散在する残り石垣
東の物見付近
化粧池へ
化粧池周辺の石垣
山上を見上げる
引田灯台へ
東の丸へ
残り石垣を撮影しながら北二の丸へ
北二の丸北側の池周辺の残り石垣
北二の丸の高石垣へ
高石垣上段は崩壊の恐れのためシートで覆われていました。
下段の高石垣
圧巻の眺め
上段へ
北二の丸から本丸に至る郭の残り石垣
帰路
史跡指定直前の訪問となりました。
随所に織豊期の石垣が残り、瀬戸内の眺めもよい文化的にも景観的にも興味深いところでした。
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