香川県丸亀市 快天山古墳
Kaitenyama kofun,Marugame city,Kagawa
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Jan.21,2016 瀧山幸伸 source movie
国史跡
快天山古墳は、香川県のほぼ中央部の横山山麓から南に向かって派生する尾根の先端に立地する前方後円墳である。昭和25年(1950)、地元の中学生により露出した石棺が発見されたことを機に香川県教育委員会が埋葬施設の調査を実施し、昭和26年(1951)には京都大学考古学研究室が追加調査を行った。さらに、平成13年度からは綾歌町教育委員会が古墳の規模等を確認する目的で発掘調査を実施してきた。
その結果、全長98.8m、後円部長68m、後円部高10.5m、前方部長35.6m、後円部高4.3m、くびれ部幅32.5mを測り、前方部3段、後円部は3段若しくはそれ以上の段築を有する前方後円墳であることが明らかとなった。四国で2番目、古墳時代前期に限れば瀬戸内地域で5番目の規模である。また、葺き石が施されていたこと、テラスに3mから4m間隔で円筒埴輪が配されていたことも判明した。
埋葬施設としては、後円部に2基の竪穴式石室と1基の粘土槨の存在が確認され、いずれも刳り抜き式の割竹形石棺を有していた。割竹形石棺は古墳時代前期の讃岐地域において築造された前方後円墳を中心に採用された形式であり、香川県鷲の山産の石材が使用された。この古墳は割竹形石棺を採用した古墳の中では最古期に位置付けられる。
副葬品はすでに盗掘を受けていたが、第1号石棺から方格規矩四神鏡、鉄刀・鉄剣・鉄鏃、鉄斧・鉄鑿、刀子、石釧、管玉・勾玉など、第2号石棺からは?製内行花文鏡片・鉄剣、鉄斧、刀子、管玉、第3号石棺からは?製内行花文鏡、鉄剣などが出土した。埴輪の特徴や副葬品の内容等から、古墳の築造年代は4世紀中頃と考えられている。
快天山古墳は四国屈指の規模をもち、埋葬施設や副葬品の内容を知ることのできる古墳として、学史的に著名である。埋葬施設に採用された割竹形石棺は、讃岐地域の古墳を中心に、一部畿内地域でも認められる形式であるが、本古墳はその中でも最古期に位置付けられる。石棺は、古墳時代中期以降、畿内地域の大王墓をはじめ列島各地の有力古墳の埋葬施設にも採用され、また特定の石材が広域に分布するなど、古墳時代の政治関係を知る上で重要な意味をもっている。快天山古墳は、讃岐地域だけでなく畿内地域を含めた古墳時代の政治状況や社会を考える上で欠かすことのできないものであり、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。
(文化庁データベース)
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