香川県高松市 四国村
Shikokumura,Takamatsu city,Kagawa
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高松市屋島中町91四国民家博物館構内 旧下木家住宅(旧所在 徳島県美馬郡一宇村) 重文 近世以前/民家 江戸後期 安永10(1781) 桁行14.0m、梁間9.1m、寄棟造、南面土庇付、茅葺、東面下屋附属、杉皮葺 棟札1枚 19820216
高松市屋島中町91四国民家博物館構内 旧河野家住宅(旧所在 愛媛県上浮穴郡小田町) 重文 近世以前/民家 江戸中期 18世紀前期 桁行12.6m、梁間6.7m、入母屋造、茅葺 19820216
May 2021 酒井英樹
旧河野家住宅
September 22, 2019 野崎順次 source movie
香川県高松市
四国村
瀬戸内国際芸術祭作品
春、夏の会期でも注目を集めた「Suitcase in a Bottle」(作者:ラムカツィール)に加えて、8月19日の公開以来すでに多くの方に鑑賞いただいています東京藝術大学とシカゴ美術館附属美術大学の共同プロジェクト「Place out of Time」の作品の数々も、あらためて秋会期公式アート作品としてお楽しみいただけます。村内にアート作品が計22作品も並ぶ今年の秋の四国村。萩の花も見頃を迎え、日毎に秋の空気に包まれてきた中で、是非ゆっくりと散策をお楽しみください。
(四国村ウェブサイトより)
作品No. tk15 ラム・カツィール 「Suitcase in a Bottle」
作品No. tk16 A-1
ビリー・カーターランキン「ホールディング・オン(ビリー・カーターの記憶)」
作品No. tk16 A-2
高木彩圭「与えられた椅子」
作品No. tk16 B
長島友治「なんか流れて来た」
作品No. tk16 C
保科豊巳「思考する井戸」
作品No. tk16 D
橋本瞭「動」
作品No. tk16 E
伊東五津美「砂糖うし小屋」
作品No. tk16 F
Shu Yan「Where Are You from」
作品No. tk16 G
ダン・プライス「いい男は見つけるのが難しい:男たちとのとりこし苦労」
それから、野の仏など
作品No. tk16 J-2
レイク真由美「ユニゾン(積乱)」
作品No. tk16 J-1
アラン・ラブ「地図のすべて」
作品No. tk16 M
チェルシー・エマカーバン「どれだけのものを私が背負っているか、あなたは知らない」
作品No. tk16 L
ミヒャエル・W・シュナイダー「隠居屋」
作品No. tk16 L
E・サフローニア・ダウニング「漁師のごみ山」
ことでんの席
香川県高松市屋島中町91
四国村
(Shikoku Minka Museum, Takamatsu City, Kagawa Pref.)
アプローチ、JR瀬戸大橋線と琴電を乗り継いて、琴電屋島駅に着く。
パンフレット
国登文 金毘羅石灯籠 江戸(1794)
もと香川県綾歌郡国分寺町新名石舟に所在。高い石積基壇と四段積の台座の上に建つ江戸後期の石灯籠で、意匠は「常夜燈」よりも簡素であるが、正面に「金毘羅大權現」と刻し、金毘羅街道の道標としての格を示している。
(文化遺産オンライン)
浜田の泊屋(入村券発売場)
黒潮に鍛えられた土佐の若者組の宿泊所らしく、自然木の柱をふんばり、たくましい姿を見せている。高い床は南国の青年たちの理想を象徴していようにもみえる。入母屋造桟瓦葺高床式。(中略)これは宿毛市にある国の重要有形民俗文化財を模したものである。
(現地説明板)
深い谷間を流れる急流が、村の交通を分断していた。いつのころか村人が、山に自生している白口かずらを編んで、つり橋をつくることに成功した。(中略)いま残っているのは一本だけで、三年目ごとにかけかえられる。日本三大奇橋の一つで、国の重要有形民俗文化財に指定されている。この橋は、祖谷地方の技術保持者を招き、材料も本場ののものを使って完成した。
(現地説明板)
市文 農村歌舞伎舞台
この舞台では小豆島の地元の人々自身が役者となり、歌舞伎芝居を演じました。茅葺平屋建てで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座がついています。
建造年代は、落書きの内容から、江戸時代末期のものと推定されます。
(四国村ウェブサイト)
小豆島 猪垣
これは小豆島の三都半島にあったもので、粘土に松葉を入れてつくっている。
(現地説明板)
県文 旧山下住宅
寄棟造り茅葺、平屋建て。江戸時代における東讃岐の一般農家の典型であり、俗に「周囲(ぐるり)八間」と呼ばれた農家です。家の半分は農作業用の土間にとられ、残り半分の床部分に「おくどさん(かまど)」がついており、そこで親子兄弟が肩をよせあって暮らしていました。
(四国村ウェブサイト)
国登文 森野家住宅風呂便所 大正(1912−1925)
木造平屋建、瓦葺、建築面積4.6㎡
もと徳島県美馬郡脇町の農家に所在した。外風呂・外便所をひとつ屋根の下に並べたもので、切妻造、瓦葺で平入とする。正面左手の便所は下地窓をつけるなど数寄屋風の造りで、右手の風呂は土台を煉瓦積とし、妻面に焚き口を設け陶管の煙突を差し出す。
(文化遺産オンライン)
椿
大阪城残石
国登文 稲田家住宅土蔵 明治(1868−1911)
木造2階建、茅葺、建築面積27㎡
もと愛媛県上浮穴郡久万町上畑野川に所在した農家の道具蔵。木造2階建、置屋根形式の茅葺、妻入で、外壁は平側上部を除いて縦板張りとする。開口部の少ない、たちの高い土蔵で、交差組と叉首組とによる置屋根の架構に特徴がある。
(文化遺産オンライン)
国重文 旧河野家住宅 江戸後期(1701‐1800)
桁行12.6m、梁間6.7m、入母屋造、茅葺
四国山脈の西端近くにあった小型の山地農家で、南伊予地方の標準的な横二間取り民家のうち、比較的古い遺例の一つである。 床上部全体を簀子床とするのが珍しい。きわめて保存がよく、コウゾ蒸しの装置が残っているのも貴重である。
(文化遺産オンライン)
それから
国重民文 砂糖しめ小屋2棟・釜屋1棟
わが国の砂糖きびの栽培と砂糖の製造法は、江戸時代初期に讃岐でも行われるようになった。高松藩は薩摩から製糖の技法を学び、文化5年(1808)には和三盆糖という上製白糖の製造に成功した。
この資料は、讃岐地域における、砂糖きび栽培・白下糖製造・和三盆糖製造の各工程の用具をとりまとめたものである。また、砂糖きびの汁をしぼる「砂糖しめ小屋」は、坂出市に残存した2棟を移築したもので、柱を持たない円形平面の建物である。砂糖きびのしぼり汁を煮つめる「釜屋」は、明治42年創建で、切妻造り、桟瓦葺きのものである。
(文化遺産オンライン)
砂糖しめ小屋(方形)
美馬郡の猪垣
左甚五郎の墓碑
四国ギャラリー
四国村ギャラリー」は、四国村創設者の加藤達雄が収集した美術品を展示する美術館として、建築家・安藤忠雄氏設計により2002年に開館しました。ヨーロッパの絵画や、彫刻・仏像・青銅器・書など幅広い美術品の数々をゆっくりご堪能いただけます。美術館のバルコニーからは、立地を生かして造成された「水景庭園」を眼下に臨むことができます。こちらでご紹介している作品以外にも、数多くの作品が収集されています。ぜひ、ご覧ください。
(四国村ウェブサイト)
市文 茶堂「遊庵」
四国の古い街道沿いには、こうしたお堂があちこち建っていました。初めは村の入り口に悪霊払いの意味で建てられ、後に街道を行く人の接待の場として、また四国遍路の休み場として利用されるようになります。このお堂は土佐から伊予へ越す龍王街道と呼ばれる道にありました。五寸角の栗材の柱の状態や落書きなどから、18世紀後半のものと推測されます。石仏(地蔵菩薩)は流政之氏の作品で、瀬戸内寂聴尼によって開眼され、お堂は「遊庵」と命名されました。
(四国村ウェブサイト)
旧大久野島燈台
大久野島燈台は三原瀬戸航路の要所を照らす燈台として明治27年5月に点灯されました。
燈台は基礎が3.8mの円形で高さ5.1m直径3.1m。灯塔部は花崗岩の切石積になっており、その上に乗る塔器は鋳鉄(ちゅうてつ)製で高さ2.4メートルにもなります。
(四国村ウェブサイト)
国登文 旧江埼燈台退息所 明治4年(1871)
江埼燈台は瀬戸内の難所といわれる明石海峡を望む、淡路島の北端にあります。英国の技師 R・H・ブラントンの設計により、明治4年(1871)に点燈した、わが国8番目の洋式燈台です。退息所は石造で、壁体は奥行60cm程の切石を積み、木造トラスで桟瓦葺の屋根を支えた重厚な建物です。平成7年(1995)1月の阪神・淡路大震災により、石造の壁に大きな亀裂が入り、屋根瓦が落下するなど壊滅的な被害を蒙りました。当四国村はこの建物を移築し、復原保存する措置をとりました。この退息所は本格的な石造建築であり、建築当初の木造トラスを残すなど、洋式燈台の黎明期の貴重な建物です。
(四国村ウェブサイト)
錨と流行病死者の墓碑
国登文 旧鍋島燈台退息所 明治(1873)
石造平屋建、瓦葺、建築面積156㎡
もと香川県坂出市与島町鍋島に所在。神戸・長崎間航路にあたる瀬戸内海の小島に築造された四等灯台の外国人灯台守用の宿舎。ブラントンの指導によるものとされ、石造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で、正面全面に素朴なトスカナ式列柱によるベランダを付ける。
(文化遺産オンライン)
⑫ 国登文 旧クダコ島燈台退息所 明治(1903)
鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積107㎡
愛媛県松山市の西北方、中島と怒和島の間に浮かぶ小島であるクダコ島の灯台吏員退息所。寄棟造、桟瓦葺で、平側に屋根を延ばして正面に下屋的な土間空間をつくり、内部は畳部屋を中心にした間取りとする。日本人灯台守用の官舎の標準を示す。
(文化遺産オンライン)
国登文 クダコ島燈台退息所別棟 明治(1903)
鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積38㎡
クダコ島燈台吏員退息所本館とともに当地に移築され、本館の右手に本館とは棟を直交させて建つ。寄棟造、桟瓦葺で、ほぼ中央部に防火壁を建ち上げて前側を風呂場、後方を倉庫としていた。灯台吏員退息所の施設状況を示す建造物のひとつ。
(文化遺産オンライン)
⑬ 国登文 楮蒸し小屋 昭和前期(1926‐1988)
木造平屋建、茅葺、建築面積25㎡
もと高知県高岡郡檮原町越智面に所在した。土佐紙の原料である楮や三椏を蒸すための小屋。内部に石で窯を築き、蓋として釜にかぶせる大桶を上げ下げする装置をもつ。寄棟造、茅葺で、外壁をも茅で葺いている点に特徴がある。
(文化遺産オンライン)
⑭ 国重文 旧下木家住宅 江戸後期(1781)
桁行14.0m、梁間9.1m、寄棟造、南面土庇付、茅葺、東面下屋附属、杉皮葺
剣山の北側にあった山地農家で、平面は四国地方に広く分布する横二間取りの一類型である。建築年代がはっきりしており、質が良い。内部柱をすべて「こき柱」(差物を差し通して小屋梁に〓差しとなる)とする構造にも見るべきものがある。
⑮ 添水唐臼小屋 江戸時代のものを復元
添水(そうず)とは、竹筒に水を引きいれ、たまる水の重みで反転した竹筒が石などに当って音を鳴らし、畑を荒らす鳥獣を追い払うために作られたもの。音色を工夫し、庭の風情のための「ししおどし」として、現在でも用いられています。
これを利用し、穀類を精白するために臼に入れて杵でつくための装置。水が少ないところで、個人または隣近所が共同で利用したのが添水唐臼で、俗にソウズと呼ばれていました。この小屋は徳島県美馬郡一字村木地屋にあって昭和30年ころまで使われていた小屋を復元したものです。
(レトロな建物を訪ねて)
徳島県一宇村にあった猪垣の一部
⑯ 国登文 久米通賢先生旧宅 江戸 (1801−1900)
木造平屋建、茅及び瓦葺、建築面積81㎡
もと香川県大川郡引田町馬宿に所在した。江戸時代後期のオランダ流砲術家として知られる久米通賢の旧宅。寄棟造、茅葺の四周に本瓦葺の庇を回した「四方大蓋造り」と呼ばれる香川・徳島県に特徴的な民家の形式をもつ。
⑰ 市文 旧中石家住宅
平家の落人村として有名な祖谷の民家。主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち並ぶ様子は、傾斜が急な祖谷地方の特徴を表しており、18世紀後半の建築とみられます。寒い祖谷らしく部屋には「いろり」があります。
(四国村ウェブサイト)
納屋
主屋
隠居屋
⑱ 染が滝
明治、大正期の民家の基礎に使われていた石をふんだんに用いています。流れる滝の水音に耳を傾ければ、屋島を望む空に向かって、ひととき、こころが和みます。
(四国村ウェブサイト)
⑲ 県文 旧丸亀藩御用蔵
この建物は、もともと京極藩御用の米蔵でした。墨書や、米俵の数取りに使った「玉」等の落書きなどから、江戸後期の建築であると推定されます。
米蔵は、2段の布石の上に建ち、屋根は切妻造り本瓦葺です。高い海鼠壁や、正面にある4つの戸口、その廂と2つの格子窓は単調な壁面に快い変化を与えており、力強さの中に美しい構成を合わせもった米蔵です。現在は資料館として使用しています
(四国村ウェブサイト)
⑳ 国登文 石舟のアーチ橋 明治(1901)
石造単アーチ、長さ4.6m
もと綾歌郡国分寺町新名石舟の金毘羅街道に架かる。径間約3メートルの小規模アーチの太鼓橋であるが、アーチ要石に鯉と唐獅子の浮彫りを付けるなどの遊びもある。要石下端には、建設年のほかに兎子尾与次郎・米吉の石工名を刻む。
(文化遺産オンラインより)
? 国登文 旧福井家石蔵 明治(1868−1911)
石造平屋建、瓦葺、建築面積72㎡
もと香川県綾歌郡国分寺町新名石舟の金毘羅街道沿いに所在。地元産の安山岩の長石を積んで壁体を造り、緩やかな勾配の本瓦葺寄棟屋根を架け、正面平側に本瓦葺の下屋庇を出して平入とする。近代的構法と伝統的手法が不思議と調和した建築になっている。
(文化財オンラインより)
国登文 旧三崎の義倉 江戸後期(1819)
木造平屋建、瓦葺、建築面積75㎡、1棟
もと土佐清水市三崎に所在した。飢饉や災害に備える穀物蔵として地元の庄屋沖市左衛門が建てたと伝える。桁行6間梁行3間規模の切妻造の倉で、内部は2室に分かれ、正面平側に下屋庇を出して平入とする。外壁は縦板張りとし、内壁間柱には丸太材を用いる。
(文化遺産オンラインより)
国重民文 醤油蔵・麹室
香川県の醤油造りは文化年間(1810年頃)に小豆島を中心に東讃・西讃などで盛んになります。明治中期から昭和10年代にかけて全国第2位の生産石数をあげました。ところが、戦後設備や器具が近代化され。伝統的な醤油製造は衰退していきます。四国村に移築されたのは香川県東かがわ市(旧引田町)の山本醤油の蔵です。仕込み蔵は、明治末期に建てられたものと18世紀後半のものの2棟あり、麹室は江戸末期に造られたものです。移築復原は昭和59年(1984年)で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
(高松市ウェブサイトより)
国登文 小豆島北浦村の石蔵 大正(1915)
石造平屋建、鉄板葺、建築面積5.3㎡
もと小豆郡土庄町北浦に所在。北浦出身で大阪に出て成功した藤原兵太郎が村に寄贈する公債類を保管するために建設したと伝えるユニークな金庫的建築。御影石の切石積で、刳型付きのコーニスを回し、正面に両開き鉄扉とムクリ破風状の鉄庇を付ける。
(文化遺産オンラインより)
国登文 元消防組第四部新馬場消防屯所 大正(1919)
もとは地元の屋島中町新馬場に所在した消防車庫。木造、平屋建、桁行2間梁行1間半の規模で、寄棟造、瓦葺、妻入とする。外周3面は縦板張りで、正面に幅一杯の上半分を連子にした両開き戸を付ける。小規模ながら端整な姿形をした消防車庫である。
(文化遺産オンラインより)
志度町の警鐘台、もと護衛空母「しまね丸」の無線ポストであった。
国登文 旧前田家土蔵 明治(1868−1911)
もと高知市布師田に所在した。木造2階建、切妻造、桟瓦葺、置屋根形式の平入土蔵の平側に、6畳間を有する離れ座敷を接続する。土蔵の外周は、腰を海鼠壁とし、上部の漆喰壁面に高知地方特有の水切りのための瓦庇を3段ないし4段に付ける。
(文化遺産オンラインより)
国登文 常夜燈 江戸末期(1855)
もと香川県綾歌郡国分寺町新名石舟に所在。石積3段の基壇に建つ江戸末期の花崗石製灯籠で、高さは3m程。正面に「奉燃永代常夜燈」、側面に「安政二年十月吉日」と刻す。曲線を多様した造型意匠に石加工の確かさと伝統が感じられる。
(文化遺産オンラインより)
県文 旧丸亀藩斥候番所
この建物は、香川県と愛媛県の境の三豊郡箕浦に建っていました。北側が海、南側が山という地形の箕浦には、藩政時代、2つの番所がありましたが、海側の警備にあたっていた方は残っておらず、地元民が詰めていたこの番所だけが残っています。
寄棟造りで、鬼瓦や軒丸瓦に京極藩の家紋がみられ、このような番所が残っているのは全国的にも珍しいものです。表に建てられた標柱にも趣が感じられます。
(四国村ウェブサイト)
火の見櫓
市文 旧吉野家住宅(漁師の家)
徳島県の太平洋に面した断崖の下、海部郡由岐町伊座利にあった「漁師の家」。切妻造り平屋建て本瓦葺きの家で、強風を防ぐ役目をしている周囲の石垣を伴っているのは、この地区の漁家の特徴です。
昔、鰤の大敷網の漁場であったこのあたりに、よそから網元が進出して大漁が続いていました。それを見た地元の漁師が、借金をして大網を張ったところ、不運にもその年から不漁続きで大損をし、多額の借金が残ってしまったのです。他の地区では住居の改築をしたのに、ここだけは建替えができず貴重な文化財となっています。
(四国村ウェブサイト)
国登文 異人館ワサ・ダウン住宅 明治(1906)
もと神戸市北野町に所在。いわゆる神戸の異人館で、木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、下見板張のベランダ・コロニアル住宅。正面1階は吹放ちとするが、2階ベランダにはガラス戸を建て込む。建設年代的には明治後期であるが、明治中期異人館の特徴を伝える。
(文化遺産オンラインより)
その他
帰途
1 浜田の泊屋(入村券売場)
金比羅灯篭
2 かずら橋
3 農村歌舞伎舞台
いのしし避け土塀
4 旧 山下家住宅
5 旧 河野家住宅
6 砂糖しめ小屋・釜屋
いのしし穴
7 四国村ギャラリー
8 茶堂「遊庵」
9 旧 大久野島燈台
10 旧 江埼燈台退息所
11 旧 鍋島燈台退息所
12 旧 クダコ島燈台退息所
13 楮蒸し小屋
14 旧 下木家住宅
15 添水唐臼小屋
16 旧 久米通賢先生宅
17 旧 中石家住宅
18 染が滝
19 旧 丸亀藩御用蔵
20 アーチ橋
21 旧 福井家石蔵
22 旧 三崎の義倉
23 小豆島の石蔵・消防屯所
24 醤油蔵、麹室
25 旧 前田家土蔵
26 旧 丸亀藩斥候番所
27 旧 吉野家住宅(漁師の家)
28 ティールーム 異人館
29 うどんのわら家
Sep.2011 酒井英樹
旧下木家住宅
旧河野家住宅
旧下木家住宅
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