香川県高松市 一宮寺 83番札所
Ichinomiyaji 83ban fudasho,Takamatsu City,Kagawa
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Mar.30, 2021 瀧山幸伸
Jan.22,2021 瀧山幸伸 source movie
December 5, 2020 野崎順次 source movie
香川県高松市一宮町607
真言宗御室派
神毫山 大宝院 一宮寺
(Ichinomiyaji, Takamatsu City,
Kagawa Pref.)
四国八十八番箇所霊場第八十三番札所
創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史を誇ります。開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名されました。また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの"聖観音"
聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗されました。
この寺も同じく、天正の兵火により灰燼に帰しましたが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。また江戸時代に高松藩主により田村神社の別当を解かれました。神仏分離の200年も前の出来事です。
(「四国八十八ヶ所霊場会」ウェブサイトより)
アプローチ、琴電一宮駅から徒歩10分くらい。一宮寺の西の山門へ
境内に入り、枯山水庭、護摩堂、大師堂、本堂
一宮寺石塔群
(以下の説明は、日本石造物辞典編集委員会「日本石造物辞典、2012」より引用編集)
本堂南側の基壇上にある一宮御陵とよばれる三基の石塔と、境内南東、鐘楼脇にある池の中島にある一基の宝塔が主要なものである。一宮御陵のうち、右塔が宝塔としてほぼ完存しているほかは、寄せ集め塔である。石材はいずれも在地の白色凝灰岩(火山石系)である。宝塔塔身は三基とも形態が異なっており、火山石系宝塔の個性が容易に把握できる。宝塔は、紀年銘および形態的特徴から鎌倉時代後期ころと推測する。層塔は本来五重層塔であったと推測される。火山石系層塔は、二〇基ほどが確認されているが、大部分が鎌倉時代後期から末のものである。一宮寺層塔はこれらより古い要素が指摘でき、鎌倉時代前期から中期前半ころと推測できる。このように一宮寺石塔群は、火山石系石造物の中でも初期段階に位置付けられる。一宮御陵石塔は、孝霊天皇、百襲姫、彦五十狭金芹沢命の三神の供養塔とされる伝承がある。
一宮御陵右塔は宝塔である。塔身・屋根・相輪が揃っている。
中央塔は、下から順に宝塔塔身、層塔屋根(五層)が重ねられている。塔身は、軸部上半が最大径となり下半がすぼまった円筒形を呈する。正面は長方形状に枠が一段彫りくぼめられている。枠の左下側には銘文が刻まれている。層塔屋根は、軒はやや薄めで反りは直線的である。
左塔は、下側から順に五輪塔水輪・宝塔屋根・五輪塔火輪・宝塔屋根が重ねられている。水輪には銘文が刻まれている。右塔は宝塔である。塔身・屋根・相輪が揃っている。
鐘楼脇にある池の中島に単独で据えられている一基の宝塔は、塔身・屋根が残存している。
枯池は庭園の一部である。
地獄の釜
この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠があります。これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがあります。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われます。昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなりました。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝りました。すると頭はすっと抜けました。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になり、元気に長生きしたそうです。
(「四国八十八ヶ所霊場会」ウェブサイトより)
その他境内
鐘楼と仁王門
仁王門外側
帰途
May 13,2016 瀧山幸伸 source movie
Dec.2007 瀧山幸伸 source movie
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