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香川県高松市 女木島(鬼ヶ島)

(Megijima Island, Takamatsu city, Kagawa)

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April 17, 2016 野崎順次 source movie

香川県高松市

瀬戸内国際芸術祭2016 女木島

(Setouchi Triennale 2016 at Megi Island, Takamatsu City, Kagawa Pref.))

アプローチ、帆船のような「20世紀の回想」や「カモメの駐車場」が見える。

              

49 カオス*ラウンジ「鬼の家(第3会場)」

                                

山の方へ歩く。

     

48 杉浦康益「段々の風」

                

住吉神社から集落に戻る。

       

50 行武治美「均衡」

                

西尾末広生家、旧庄屋屋敷、東京の人に売却されたとのこと。

   

49 カオス*ラウンジ「鬼の家(第2会場)」

                                              

47 レアンドロ・エルリッヒ「不在の存在」とレストランイアラ女木島

ここだけ撮影禁止。

44 平尾成志x瀬ト内工芸ズ/香川県盆栽生産振興協議会「feel feel BONSAI」

                       

鳥居と西尾末広像

       

43 愛知県立芸術大学国際交流展に向かって海岸沿いに北西に歩いて行った。が、これは夏会期だけだったので、さんざん歩いてから、戻った。でも、花やいろいろな海の家を楽しんだ。

                             

45 大竹伸朗「女根/めこん」

                                               

46 依田陽一朗「ISLAND THEATRE MEGI(女木島名画座)」

                    

ちょっとスローダウン

          

42 愛知県立芸術大学瀬戸内アートプロジェクトチーム「MEGI HOUSE」

                            

41 禿鷹墳上「20世紀の回想」

   

40 木村崇人「カモメの駐車場」とモアイ像

   

風の強い日だった。特に港では三脚を伸ばして歩いていると風に持っていかれそうになるほどだった。さすが女木島だなあと思ったが、実は全国的な異常気象だった。港で船を待つ間、小さな子供が吹き飛ばされないかと思うほどだった。

           


May,3,2010 野崎順次

香川県高松市女木町

女木島が「鬼ヶ島」とされる由縁は、香川県の桃太郎伝説にあります。

香川県の桃太郎は、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の弟「稚武彦命(わかたけひこのみこと)」がモデルで、吉備の国から讃岐の国に来た時、土地の住民が鬼(海賊)の出没で苦しんでいるのを知り、イヌ・サル・キジを率いて鬼を征伐しました。

イヌは備前の犬島(岡山県)、サルは陶の猿王(綾南町)、キジは雉ヶ谷(鬼無町)に住む勇士だったと言われています。

鬼が住んでいたのが女木島で、桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったことから「鬼無」という地名になったと言われます。

大正3年に橋本仙太郎氏が大洞窟を発見したことによって、桃太郎伝説と女木島が結びつき、以来、女木島は「鬼ヶ島」と呼ばれています。

女木島パンフレット

    

女木島(鬼ヶ島)は高松の沖合にあります。高松まではJR瀬戸大橋線で行きました。

瀬戸大橋から東の瀬戸内海を見ています。晴天ですが、霞のかかった静かな海です。

           

高松港から小型フェリーに乗ります。島まではたった15分です。屋島がよく見えます。

                                 

近づいてきました。小型漁船が忙しそうです。こちらの気分はゆったりしてきました。

                   

女木港と各種案内板

          

おにの館、モアイ像、地蔵尊。

           

島の集落には,民家の屋根まですっぽり覆うほどの高さの石垣「オオテ」が防風防潮用に築かれ、独特の島風景を描きだしています。

        

大洞窟は、島で一番高い山、鷲ヶ峰の頂上直下にあり、港からバスが出ています。

                

この大洞窟は、大正3年、香川県鬼無町の郷土史家、橋本仙太郎先生によって発見され、10数年後の、昭和6年に鬼ヶ島として公開されました。

洞窟が造られたのは、紀元前100年頃と言われ古代中国の要塞型によく似ていると言われています。

入口から中ほどまでを防禦の構えに造られ、中程から出口までを脱走の構えに造られております。

入口から出口までの長さは延長約400m、面積は約4,000㎡です。

                                                             

大洞窟出口の上方斜面に見られる柱状節理(高松指定天然記念物)。柱状節理とは、今から5百万年前火山の噴火によって五角型とか、六角型の石が材木を積み重ねたようになって自然にできたもので日本全国でも10ヶ所を数えるほどしかありません。

    

鷲ヶ峰山頂広場よりの展望。地面を見ると、玄武岩が放置されたり、敷石にされたり。

                       

洞窟茶屋で一休みしてから山を下ります。

      

円山古墳は5世紀ごろに作られた直径15mほどの古墳。市内最大の石棺が発見され、刀、耳飾り、金製ハート型耳飾りなどの副葬品が出ました。周囲を石垣で補強したのは、もちろん、現代になってからです。

    

さらに山を下って浜辺に向かいます。風が気持ちよく、花を愛でる心が躍ります。

                               

夏には海水浴でにぎわう浜辺を歩きます。水上バイクの若者が休んでいます。家族が釣りをしています。子供たちがきれいな水や砂と戯れます。時間がゆっくり流れます。次のフェリーまで2時間近くあるのに退屈しません。

                                                         

堤防にもたれて女木港が見ていると、隣の男木島行きのフェリーが入ってきました。

        

松林に西尾末広(1891.3.28〜1981.10.3)の銅像がありました。女木島で生まれ、高等小学校中退で大阪に奉公に出ました。その後、労働運動に身を投じ、敗戦直後の片山内閣幹事長、芦田内閣副総理を務め、その後一貫して社会党右派の道をたどり、1960年には民主社会党を結成して初代委員長に就任しました。共産主義を否定し、議会制民主主義を貫き、保守系の吉田茂、岸信介、福田赳夫らとも親交が厚かった大きな政治家です。

     

ある家の庭の電線にツバメが2羽とまっていましたが、3mくらいに近づいても逃げません。人を怖がらないのは、人が優しいからでしょう。

        

女木港のおにの館には、鬼に関する各地の情報と郷土民具を集めた「鬼の間」があります。

                                  

フェリーで女木港を出ます。

                

水上バイクが追いかけてきて、高松港で追いつかれました。広い海、そんなに急いでどこへ行く。

                     

参考資料 

鬼ヶ島観光協会HP

高松市観光課HP


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