JAPAN GEOGRAPHIC

香川県高松市 屋島/屋島寺
Yashima/Yashimaji,Takamatsu city,Kagawa

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 General
 
建築、彫刻、眺望に優れる
 Nature
 
屋島南嶺山頂
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
本堂、本尊、梵鐘が国重文
 Facility
 
 Food
 


高松市屋島東町字屋島峯1808 屋島寺本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和4(1618) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 厨子1基 19550622

May 1, 2019 野崎順次 source movie

今回は庭を重点的に見ようと思う。いつも通り、重森三玲著「日本庭園便覧辞典(昭和49年)に導かれたのである。観光的に有名な「雪の庭」と重森三玲自身が作庭した露地がある。しかし、共に立ち入り禁止で、「雪の庭」を宝物館のベランダから見るだけである。

パンフレット、三躯堂、本堂

   

宝物館と裏の小池
        


宝物館から見た雪の庭
この地は屋島の南嶺西側に当たっていて、風光明媚の土地であるだけでなく、書院の裏側には、従来「雪の庭」と俗称される庭がある。これはこの山地が一種の石灰岩地帯の一部であるから、山肌が露出した部分が白雪のごとき景観を示しているので、その下部に小池を作り、山畔に多少の石組を施し、雪の庭として拝観させている。なだらかな白雪的な山肌を利用したものだけに、庭園としての構成的なものではなく、自然景観をそのまま庭に見立てたものであって、これは江戸注意後に流行した庭園観によるのである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」屋島寺庭園より)

     

重森三玲作庭の露地は立ち入り禁止なので、写真撮影ができなかったが、同氏による解説は次のとおりである。

屋島寺庭園 現代 露地・枯山水・流水
この庭は茶室四畳半のための路地であるが、茶亭に向かって右手に山畔があり、ここに腰掛待合を作り、この腰掛待合から躙口や貴人口に入る飛石を長く打ち、一方雪の庭の方へも飛石で連結した。
そしてまた、この茶亭と旧書院との間に中庭を必要とする関係で、ここには枯山水としての特色のあるものを作庭した。四周に州浜形の色セメントによる軒内を設け、中央に白砂を敷き、小松一本だけ植栽して景をとり、簡素な構成である。
あるいはまた、腰掛待合のある山畔には小滝の石組を光家、滝の水を落とし、その水を下部に流したのであるが、その流れを曲水式の流れとしてこれに小石を敷き、流畔と茶室との間には白砂を敷き、また飛石があり、したがってこの曲水の流れが一段と景到として引き立つのである。
したがって屋島寺では、一方に江戸末期の雪の庭があり、一方に露地があって、この露地にも枯山水や流れがあって、その多様な庭によって鑑賞が豊富である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」屋島寺庭園より)



June 4, 2017 野崎順次 source movie

屋根型の美しい形「メサ」
国の天然記念物にも指定されている美しい形をした溶岩台地。
山頂が屋根のように平らな形をしていることから名付けられた屋島は、北嶺が約282m。南嶺は約292mと起伏が緩やかな台地状です。この地形は「メサ」と呼ばれ、約1400万年前の火山活動で噴出した溶岩が水平に流れ出し、周囲や上部に浸食が加わって形成されました。基盤が花崗岩、中腹から上部にかけて凝灰岩が堆積し、最上部には讃岐岩質安山岩が水平にのっています。
(中略)
1934年(昭和9年)には貴重な地形の屋島を保護しようと、国の天然記念物にも指定されました。
(高松市創造都市推進局 観光交流課ウェブサイト「屋島ナビ」より)

小豆島土庄から高松へ帰る小豆島フェリー航路より撮影した。

                    





May 13,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                   



Feb.1,2015 野崎順次 source movie

香川県高松市屋島東町1808
南面山千光院霊場八十四番
真言宗御室派
屋島寺
(Yashimaji Temple, Takamatsu City, Kagawa Pref.)

寺伝によれば、律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創したという。明徳2年(1391年)の西大寺末寺帳に屋島寺と屋島普賢寺の名があり、当時は奈良・西大寺(真言律宗)の末寺であったことがわかる。高松藩主生駒一正は慶長6年(1601年)に屋島寺の寺領25石を安堵。近世を通じ、当寺は高松藩の保護下にあった。
(ウィキペディア「屋島寺より)

JR瀬戸内線、高徳線、ことでんシャトルバスを乗り継いて屋島南嶺山頂へ

                       

東大門から参道を進むと、千体堂、三体堂、大師堂、熊野権現社と続く。

              

屋島の禿狸と蓑山大明神および屋島稲荷社

     

国重文 屋島寺本堂 江戸初期 元和四年(1618)
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

本堂外部

                       

本堂内部

     

向拝正面彫刻

           

向拝裏面、手挟彫刻など

                  

鐘楼、梵鐘(国重文)は貞応2年(1223年)の銘があり、総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物

      

宝物館、木造千手観音坐像(国重文)平安時代中期、榧の一木造漆箔、像高94.3cm、

   

四天門

        

山門

  

可正桜、本坊など

       

獅子の霊厳からの眺望

                        

参考資料
ウィキペディア「屋島寺」






Feb.2007 瀧山幸伸 source movie

   

   

  

 
   

屋島寺 84番札所
Yashimaji 84ban fudasho

  

                     


   

   

   

 


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