香川県善通寺市 曼荼羅寺 72番札所
Mandaraji 72ban fudasho ,Zentsuji City,Kagawa
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Mar.31, 2021 瀧山幸伸
Jan.21,2021 瀧山幸伸 source movie
香川県善通寺市吉原町1380−1
真言宗 善通寺派
我拝師山 曼荼羅寺
寺伝によれば、空海(弘法大師)の出身氏族である佐伯氏の氏寺として推古天皇4年(596年)に創建され、当初は世坂寺(よさかじ)と称したという。空海が唐より帰国後、請来した両界曼荼羅を奉納し、大日如来を本尊として安置し再興、母(伝承では玉依御前)の菩提寺とし、曼荼羅寺と改称したと伝える。 鎌倉時代には、後堀河天皇から寺領を給わるほど栄えた。しかし、永禄3年(1560年)阿波の三好実休によるの兵火で焼亡、さらに、慶長年間(1596〜1615年)に戦火を受けたが復興している。空海の手植えとされた「笠松(不老松)」は、平成14年に松くい虫による被害で伐採された。
(ウィキペディア「曼荼羅寺(善通寺派)」より)
曼陀羅寺庭園 江戸時代初期 枯山水
さて本堤は書院の前庭で、面積は約百二十坪前後の庭で、正方形の地割に近く、枯山水となっているが、この枯山水は、別に築山など作らずに一種の平庭式の枯山水であり、その一部に曲水式の枯流を付してある。作庭年代は江戸初期末年の元禄を前後するものと考えれるが、このような平庭式の枯山水は、やがて江戸中期に出てくる平庭の先駆となるものであり、どことなく全体の作風が優雅であるが、少々弱くなっている。
したがって本庭の石組は巨石を用いることなく、やや小石を配してあるが、しかしその石組は軽快ながら相当に強い石組であり、寛永期の手法さえ見せているほどである。
そして本庭には曲水式の枯流を用いてあって、枯山水としては異色のあるものであり、作者が相当創作的な人であったことが考えられるが、それは同時に、藩主生駒氏の趣味性がなんとなく影響しているのであろう。したがってこの地方の庭園としては、一応注意しなければならない庭園である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」曼陀羅寺庭園より)
重森三玲さんの日本庭園便覧辞典にここの庭園(上記参照)が出ているので、遠路はるばるやってきたが、非公開だった。仕方なく、山門のユーモラスな仁王さん、境内の様子、池の亀、近くの水田の生物たちを撮影した。
山門
仁王像(阿)
仁王像(吽)
境内を本堂の方へ
大師堂、鐘楼、石柱、本堂、観音堂
県文 木造聖観音立像 平安時代後期
その他境内
周辺の自然、水田のオタマジャクシ、シオカラトンボ、スクミリンゴガイの卵
Jan.22,2016 瀧山幸伸
Dec.2007 瀧山幸伸 source movie
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