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鹿児島県姶良市 姶良
Aira,Aira city,Kagoshima

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Dec.21,2015 瀧山幸伸 source movie

石造りの家
Stone house

旧塩田の周辺に残る



Apr.26,2015 瀧山幸伸 source movie

解説参照:姶良市

下久徳の田の神
高さ130m、幅70cmの自然石の前面を舟型にくぼめ、像高80cmの田の神像を浮き彫りにしています。短衣短袴の農作業姿で、右手に飯杓、左手に椀を 持った像には着色が施してあります。記銘からみて、明和5年(1768)の造立とされ、石碑型の田の神像では県内最古といわれています。


山田の凱旋門

この凱旋門は明治37・38年の日露戦争に、当時の山田村から従軍した人たちの無事な帰還を記念して建造されました。明治39年(1906)3月に『山田村郷土誌』には、山田村からの従軍者は、陸軍88名・海軍25名、計113名であったと記してあります。
石造りの凱旋門は、鹿児島が誇るアーチ式の石橋技術を応用したもので、全国的でも1基しかない貴重な文化財です。使われた石材は凝灰岩で、言い伝えによると、上名の池平から切り出したといいます。石工は細山田ケサグマという人だったそうです。


西田の田の神
自然石に平らな面を作り、田の神舞いの姿を彫り込んだ田の神で、顔と上半身は朱色で着色しています。石碑の右上部にかけて「□寄□文化二年乙丑四月吉祥日姶羅郡山田西田上下郷中」の刻銘があり、文化2年(1805)に造られたことが分かります。


大隅国分寺跡附宮田ヶ岡瓦窯跡

大隅国分寺は聖武天皇の詔によって現在の霧島市国分に8世紀後半から9世紀初頭に建立された寺院です。その堂舎の屋根を葺く瓦を焼いた窯が宮田ヶ岡瓦窯跡です。
窯跡は別府川河口から約5km上流の位置にあり、別府川右岸の台地から伸びた小丘陵をくりぬいて築かれています。大隅国分寺からはほぼ真西に直線距離で約15km離れていますので、瓦は別府川を利用して舟で運搬されたと考えられます。
窯は全部で3基確認され、このうち第3号窯跡の北半分と周辺の瓦溜りが発掘調査されました。第3号窯跡は全長6.34mの地下式登窯で、床面には瓦で窯詰め用の段を9段設けています。また、窯詰めされた状態の瓦が3箇所で検出され、丸瓦1枚を平瓦5枚で合掌形に挟み込む窯詰め方法が確認されました。焼いている最中に窯の天井が落ち、そのまま操業を止めてしまったと考えられます。
出土した本瓦葺き用の瓦は2万点を超え、その種類も軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦・熨斗瓦(のしがわら)・面戸瓦(めんどがわら)と豊富ですが、鬼瓦や鴟尾(しび)は出土していません。このうち軒平瓦の文様が大隅国分寺跡出土のものと一致することから、国分寺瓦窯であることが確認されました。





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