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鹿児島県南九州市 知覧 
Chiran, Minamikyushu city,Kagoshima

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緑に包まれた庭園都市
 Nature
 
生垣
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
知覧城の城下町
 Facility
 
 Food
 



Dec.19,2016 瀧山幸伸

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喜入から知覧への街道沿い
             

知覧城跡
Chiran castle ato

国史跡

初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と言われる。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。その後、島津氏の内訌に伴い一時伊集院頼久一族の配下となったが、1420年(応永27年)、島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の居城となった。その後、文禄検地等で多少の異動はあったものの、佐多氏は幕末まで知覧領主であった。しかし、11代当主・佐多久達の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は実質上廃城となった。
上記のように火災のために当時の建造物は全く残っていない。そのかわり、その後ほとんど手が入れられなかったため南九州中世城郭の典型例を残している。
シラス台地を利用した南北800メートル、東西900メートル、面積45万平方メートルという壮大な城郭で、大きな谷を空堀として利用し、本丸以外の曲輪は二重の深い空堀で更に囲まれていた。中核となる「本丸」の他「今城」「蔵の城」「弓場城」などの曲輪と「式部殿城」「児城」「東之栫」「西之栫」「南之栫」「伊豆殿屋敷」等の出城から成り立っていた。
近年の発掘作業で15世紀-16世紀の中国陶磁や洪武通宝、東南アジアで生産された陶器が出土した。

                    

本丸
      

蔵之城
                        

本丸の北側 駐車場付近
   



知覧麓(武家町)
Chiran fumoto

            

西郷恵一郎庭園
                                   
         

平山克己庭園
                                      
      

              

平山亮一庭園
                                                      

鍵曲がり付近と二ッ屋
                                                 
                         

佐多美舟庭園
                                                         

  

佐多民子庭園
                                                      

         

佐多直忠庭園
                                                       

                              

公開二ッ屋と食事処
                                                                                                    

      

森重堅庭園
                                                                       

    

亀甲城跡
                     

森重堅庭園の裏側
     

                   



Dec.2014 瀧山幸伸 source movie

                                                                             




Dec.2011 瀧山幸伸 source movie


薩摩の麓庭園 鹿児島県南九州市知覧

 文和2年(1353)島津家5代貞久の弟で佐多氏の初代となる忠光が足利尊氏から知覧を与えられ、佐多氏の支配となる。南朝方であった平氏系の知覧氏は知覧又四郎忠世の討死によって没落し、島津系の知覧氏も室町時代に没落する。
 佐田氏の本拠となっていた知覧城跡は武家屋敷の街並から1q南に位置し、国史跡となっている。街並の東端に位置する亀甲城は知覧城の出城で、川には矢櫃橋と呼ばれる石造二重橋が架かり、頂上には南北朝の忠臣知覧又四郎忠世の碑が建っている。
 天正19年(1591)11代佐多久慶は一族が禁制の海賊行為を行った事件で川辺に転封となり、文禄4年(1595)から種子島氏の統治に代わる。その間に知覧城は焼失したが、江戸時代に入り、慶長15年(1610)12代佐多忠充により佐多氏の統治が復活する。
 知覧の街並を知るには、薩摩藩内各地の街並の特徴である麓(ふもと)について知っておく必要がある。薩摩島津藩は鹿児島の鶴丸城の他に藩の行政と防衛の出先組織として麓と呼ばれる102(のち113)の小規模な外城を領内に配置した。慶長20年(1615)の一国一城令以後は、麓は名目上は城ではないとして、御仮屋と呼ばれる領主の居宅兼行政の場を中心に、旧来からの郷士を住まわせ、平時は農業に従事し、有事の際は武家として機能することを狙ったものである。さらにその外側に町屋を配置し、周囲の農村とともに統治していた。
 
12代佐多忠充は街並から西へ1qほどの中郡に御仮屋を定めた。忠充のとき知覧は名目上佐多氏に戻ったが、実質的に佐多氏が領主に戻ったのは、積極的に島津家との縁戚関係を築いた後の延宝5年(1677)、薩摩島津藩主の五男である16代佐多久達のときであった。久達が島津藩主光久・綱貴・吉貴に仕えた功績により、以降は島津姓を名乗ることとなった。その後、薩摩藩主島津継豊の三男である18代久峯が現在地の上郡に御仮屋を移した。今日の街並はその頃(1750年頃)に形成されたものだ。

■庭園都市
 上郡の武家町の街並は東西1q南北200mの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、その中にある武家屋敷庭園七か所は国の名勝に指定されている。
街並は本馬場通りと呼ばれる旧鹿児島街道に沿って展開する。武家町の例に倣い通りは一部湾曲させて見通しを悪くさせ、鍵曲がりで防御機能を持たせている。石垣内には石敢當と呼ばれる魔除け石が埋め込まれている。これは中国由来のもので、沖縄地方でよく見られるものだ。
 街路両側には側溝がなく、道路面から直立した切り石の石垣で整えられ、その上に美しく剪定されたイヌマキの生垣が武家屋敷を囲っている。石垣の上には大刈り込みの生垣が続き、街並全体が母ヶ岳を借景とし、江戸時代そのままの姿を今に残している。
 もっと詳しく観察してみよう。道の両側の石垣は生垣の基壇となっており、その上に明るい色彩の生垣が植えられている。この生垣は、遊園地や植物園にあるようなトピアリー(植木を動物などに刈り込んだもの)のごとく、遊び心と芸術性を感じるほど巧みに刈り込まれている。その効果か、屋敷内からの景観と道行く人からの景観が一体となり、内外の景観が連続している。生垣の背後には圧迫感の少ない門と植え込みがあり、潅木を主体にした庭園が続く。さらにその奥に平屋の主屋があるが、建物は道行く人々からは見えない。プライバシー確保はもちろんのこと、家の内部の気配がさとられないようにする防衛的配慮もあったのであろう。これらが組
み合わさった結果、街並全体に統一感と開放感と上品な雰囲気が醸し出されている。都会の街並では、プライベートな内部空間とパブリックな外部空間が塀などの人工物で明確に遮断されており、ホスピタリティが低い印象を受けるが、ここではそれが感じられない。この道を歩くと、両側の生垣の連続景観(シーケンス)が微妙に変化しつつも基本のモチーフは変わらない。主旋律が生垣や植栽で、低音の伴奏が石垣だとも言える。さらに花や柑橘類がフィルインのようなアクセントを与えてくれ、どこを歩いても美しい街並景観を体験できる。
 残念ながら道路はアスファルト舗装されているが、本来の姿に戻れば更に美しいだろう。側溝が見当たらない理由だが、この道路は南国特有の集中豪雨時には排水路すなわち川に変身する。風土特有の自然災害に対処する都市計画の知恵に感服する。

■知覧麓庭園
 知覧麓の屋敷内にある名勝庭園は公開されている。道路を一通り歩いてから、民家の敷地内に入らせてもらおう。通路から石段を上がる屋敷の入口には門があり、武家の威厳を示している。突き当たりに沖縄民家のヒンプンに似た屏風のような目隠し塀や刈り込みがあり、そこを廻って屋敷内に入ると平屋の主屋が現れ、シラスを撒いた明るい庭を挟んで美しい植栽や石を配置した庭園が広がる。
 作庭手法はほとんどが枯山水で、庭の石には中国庭園の銘石を連想させるものもある。母ヶ岳と周囲の山並みを借景としており、外部との見切りとなる生垣の刈り込みが特徴だが、刈り込みは曲線で柔らかく、開放的で美しい。庭のシラスが南国風の明るい雰囲気を醸し出している。屋敷入口の目隠しなど琉球の庭園様式を取り入れた造園手法が名勝に指定された要素の一つだ。また、藩主の参勤交替に随行した島津久峯の家臣らが京都の文化に接する機会が多く、これらの庭園は京都の庭師に造らせたとも言われており、母ヶ岳の山容が比叡山に似ている。それゆえ薩摩の小京都とも呼ばれている。
 薩摩麓の街並、特に石垣と生垣と作庭の様式について、沖縄地方との類似が指摘されるが、異なる点もある。石垣に関しては、沖縄の島嶼部では海中のサンゴを利用する。水中のサンゴは柔らかく、簡単に加工ができるうえ、石垣に積むと雨と空気に含まれる炭酸に触れて強固な構造物となる。薩摩ではシラスから切り出した石あるいは河原の丸石を利用する。

生垣に関しては、沖縄の島嶼部ではヒルギなどを使うが、薩摩ではイヌマキや茶などを利用する。
 森重堅氏庭園は街並の東端に位置し、ここだけが山水式の庭園である。庭園と背後の山との一体感があり、流れ込む小滝の音が心地よい。配された石、池の造形も見事で、時を忘れて至福の時間を味わうことができる。その他の庭園は枯山水形式で、それぞれに趣が異なっている。主要な道路が東西の軸であるため、片側は北向きの庭園なので順光で見る。反対側は南向きの庭園なので逆光となり、光線の関係で陰影の出方も異なるので、庭を眺めた時の印象がずいぶん違う。

■知覧型二ツ家
 街並の中程の鉤曲がりに一棟、亀甲城の麓に一棟、知覧型二ツ家と呼ばれる茅葺の曲り家が公開家屋として動態保存されている。客用、男用の主屋(オモテ)と、台所、女用の付属屋(ナカエ)とを繋いだ構造で、男尊女卑の風習に従っている。薩摩半島の南部に特徴的な形式だが、残っている家屋は少ない。観光シーズンには騒々しいが、オフシーズンに訪ねればいろりを囲んでボランティアの方と語りあえるので、しんみりと落ち着いた時間を過ごすことができよう。

■薩摩の麓
 鹿児島の地形の特徴はシラス台地である。この地域の古代城は台地縁辺部の崖上に構築されることが多く、麓は名前のとおり古城の足元、シラス台地が浸食された低地に立地する場合が通例だ。知覧の他にも街並が美しい麓は多い。特に、出水、入木(薩摩川内市)は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、志布志麓の庭園も知覧と同様に国の名勝に指定されている。その他、高山(肝付町)、蒲生(姶良市)、川辺(南九州市)、加世田(南さつま市)、隈之城(薩摩川内市)、今和泉(指宿市、篤姫で有名)などへの訪問もおすすめする。
 出水麓は最大級の麓で、薩肥国境の護りの拠点であった。
公開家屋を訪問すれば丁寧な解説を受けることができる。入木麓は素朴な街並だが、植栽を刈り込んだ門など、芸術的な生垣景観に特徴がある。この地の石垣は河原の丸石が多く、生垣も低いので街並が柔らかい。志布志麓の名勝庭園は隠された宝石と言っても良く、観光化されていないので心静かに拝見することができる。高山では重要文化財の二階堂家の二つ屋と合わせて街並を楽しみたい。蒲生の八幡神社境内には天然記念物の日本最大のクスノキがある。何時訪問しても素晴らしく、この神社の周囲に麓が拡がっている。川辺は知覧の北隣にあり、名水の里として有名だが、生垣と水の街並も、背後の山の磨崖仏群も素晴らしい。
 かつて百以上あった麓だが、変わり果てた姿をさらしているものが多く、街並の維持は容易ではない。もしこれらの麓が「薩摩の麓連合」などの呼称で連携し、街並修復を図ったならば、他の地方では得られない大きな文化的観光資源になる。特にオフシーズンの冬場に南国の緑の街並群を散策すれば心地良いし、徒歩や自転車による周遊はふれあいも濃密だ。
四国遍路とは一味違う楽しみ方ができるのではないだろうか。

■悲劇を繰り返さないために
 知覧に来て戦跡を訪問しない訳にはいかない。鹿児島の特攻隊関連遺跡は、沖縄、広島、長崎の戦争関連遺跡とあわせ、人生の早い時期に必ず訪問しなければならない地だ。それゆえ修学旅行での訪問者は多い。人生に迷った時にもぜひ訪ねたい。
 知覧特攻基地跡に建つ特攻平和会館。涙無しには過ごせない。特攻隊員は17歳ほどの少年で、修学旅行ではしゃいでいる高校生と同じ年頃だ。もし自分の家族がこのような運命を辿ると思うと胸が詰まる。あまり知られていないが、知覧に続き加世田の吹上浜にも特攻基地として万世飛行場が作られた。ここにも平和祈念館があるのでぜひとも訪問してほしい。
 先の戦争では一万四千人余りが特攻関連で若い命を失った。二度と悲劇を繰り返してはならない。

A camera
                                                                                  

富屋食堂付近
  

知覧特攻基地跡
          


B camera
                                                                                                                  


       


           


May 2009 撮影/文:川村由幸

名称:知覧伝統的建造物保存地区
所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡

知覧は、静かで情緒豊かな道と歴史を刻んだ建造物や庭がひっそりとした佇まいのなかに息づいておりました。
いくつも庭を見るだけでも楽しく、時を忘れます。

                                       


 



Dec.2008 撮影:瀧山幸伸 
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知覧城址
   

亀甲城付近
                 


森重堅氏庭園
                        


                     

佐多直忠氏庭園
               


        

佐多民子氏庭園
                


  

佐多美舟氏庭園
           


   

知覧型二ツ家
      


         

平山亮一氏庭園
            


   


平山克己氏庭園
        


西郷恵一氏庭園
              


           



Dec.2003 撮影/文 瀧山幸伸  High Vision

街並
Townscape

美しい生垣の城下町

 戦時中知覧郊外に急遽飛行場が建設された。特攻の基地としての悲しい歴史は、降旗監督の映画「ホタル」など優れた作品の舞台となって我々の心の中に深く重く生きている。
一方この街は、はるか以前から美しい庭園と生垣の城下町としての顔を持っている。
 城下町は、島津藩政時代、藩の行政と防衛の出先組織としての「麓」と呼ばれる郷士集落の一つとして形成された。 街並の中心部は東西1キロ南北200メートル程の範囲で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、その中にある武家屋敷庭園七か所は国の名勝に指定されている。 

 

    

 道の両側の石垣は生垣の基壇となっており、その上に明るい色彩の生垣が植えられている。この生垣は、遊園地や植物園にあるような子供向けトピアリー(植物を人工的立体的に形づくる造形物)のごとく、遊び心と芸術性を感じるほど巧みに刈り込まれて造形されている。その効果か、屋敷内からの景観と道行く人からの景観が一体となり、内外の景観が連続している。 生垣の背後には圧迫感の少ない門と植え込みがあり、潅木を主体にした庭園が続く。さらにその奥には平屋を主体とした主屋があるが、建物は道行く人々からは見えない。これは、プライバシー確保はもちろんのこと、家の内部の気配がさとられないようにする防衛的配慮もあったのであろう。これらが組み合わさった結果、街並全体に非常に開放的で明るい上品な雰囲気が醸し出されている。
 都会の街並では、プライベートな内部空間とパブリックな外部空間が塀などの人工物で明確に遮断されており、ホスピタリティが低い印象を受けるが、ここではそれが感じられない。この道を歩くと、両側の生垣の連続景観(シーケンス)が微妙に変化しつつも基本のモチーフは変わらない。まるで楽譜を追いながら歩くような印象だ。主旋律が生垣や植栽で、伴奏が石垣だとも言える。どこを歩いても本当に美しい景観を体験できる。
 残念ながら道路はアスファルト舗装されているが、本来の姿に戻れば更に美しいだろう。この道路は南国特有の豪雨時には排水路としての用を兼ね備えているとのことである。風土特有の自然災害に対処する都市計画の知恵に感服する。

                 


 知覧の庭園は、琉球の庭園様式につながる潅木刈り込みと石造りの枯山水様式が主で、周囲の山並みを借景としており、植栽の刈り込みも曲線で柔らかく、開放的で美しい。庭のシラスが明るい雰囲気を醸し出している。

   

縦方向に伸びる道路は微妙に曲げられ、見通し悪く作られているが、鉤曲がりは1ヶ所のみである。

  

 街並の中程、鉤曲がりには知覧型二ツ家と呼ばれるかやぶき曲り家が保存されている。居住用のオモテと台所のナカエとを、小さな棟で繋いだ構造である。 公開家屋として動態保存されており、ボランティアの方と来訪者がいろりでくつろぎ、しんみりと昔話を語り合う。オフシーズンに訪ねれば深く落ち着いた時間を過ごすことができる。特攻平和会館とあわせ、人生に迷った時にはぜひ訪ねたいところである。 
      


地元のボランティアと語り合う大都会からの訪問者
Dec.2003  source movie

   

生垣の花や生垣越しのかんきつ類が街並みに潤いを与えてくれる。

   


映画ホタルの舞台 富屋食堂 当時の雰囲気を保っている
      
  

知覧特攻平和会館
Chiran Tokkou Heiwa Kaikan
  

特攻隊の記憶 悲劇を繰り返さないために
          


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