鹿児島県薩摩川内市 入来
Iriki, Satsumasendai city,Kagoshima
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自然石の石垣と生垣、芸術的な生垣利用の街並 |
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生垣 |
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保養温泉の町 |
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薩摩川内市入来町浦之名77 旧増田家住宅 おもて 重文 近代/住居 明治 明治6(1873)頃 桁行8.8m、梁間7.9m、寄棟造、茅葺、南面及び東面庇付、北面庇及び下屋附属 石敢當一基 明治六年の刻銘がある 20141210
薩摩川内市入来町浦之名77 旧増田家住宅 なかえ 重文 近代/住居 明治 明治6(1873)頃 桁行8.5m、梁間7.0m、寄棟造、茅葺、西面下屋付、洗い場附属、おもてとの取合部を含む 20141210
薩摩川内市入来町浦之名77 旧増田家住宅 石蔵 重文 近代/住居 大正 大正7(1918) 桁行6.0m、梁間3.9m、二階建、切妻造、桟瓦葺、西面及び東面下屋庇附属 20141210
薩摩川内市入来町浦之名77 旧増田家住宅 浴室便所 重文 近代/住居 大正 大正 桁行4.8m、梁間3.0m、切妻造、桟瓦葺 20141210
Dec.10,2019 瀧山幸伸
入来麓(重伝建)と清色城跡(史跡)
入来麓はほかの麓とは違い、入来院家に伝わる古文書が中世武家社会の研究資料として世界的に評価されてきた。
街並の成立と発展、今日までの変遷とこの歴史資料とを照合して街並を学べることが意義深い。
入来院家文書について
入来院家文書は、薩摩国入来院の地頭入来院家に伝来した文書です。入来院氏は元来は相模国渋谷庄の地頭であり渋谷氏を称していましたが、 1247 年、渋谷定心が宝治合戦における勲功により恩賞として入来院を与えられ、その子孫が入来院に移住し、家名も入来院を称するようになりました。
1929 年、アメリカのエール大学教授であった朝河貫一によって入来院家文書および関係文書の英訳が刊行されたことによって、入来院家文書は日本封建制研究の根本史料として世界的に有名になりました。
(東京大学史料編纂所)
入来院家文書については東京大学史料編纂所のページを参照
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/iriki-j.html
犬ノ馬場から西へ
Innnobaba to west
石敢當付近
赤城之馬場
Akassanbaba
赤城神社
Akagijinja
旧増田家j住宅
Old Masudake
犬ノ馬場
Innnobaba
尾迫馬場/十文字馬場
Osakonbaba/Jumoshibaba
お仮屋馬場/清色城跡
Okaiyababa/Kiyoshiki Castle
十文字馬場
Jumoshibaba
中ノ馬場
Nakanbaba
上ノ馬場
Kannobaba
風の通り馬場
Kazentooibaba
船瀬殿墓
Funasedonhaka
船瀬馬場
Funasenbaba
船瀬跡
山河馬場
Yamankobaba
入来麓 (重要伝統的建造物群保存地区)
Iriki fumoto
清色城跡
Kiyoshikijo ato
旧増田家
Kyu Masudake
A camera
B camera
入来は「温泉と歴史とキンカンの里」として売り出している。薩摩では珍しい山城の清色城を中心に形成された城下町である。
「入来文書」は鎌倉時代から明治維新までの入来院氏の連続統治620年の歴史を記録しており、封建制を研究する上での貴重な資料となっている。
街並は川原石で組まれた石垣と、その上の生垣とで形成され、整然とした景観が見られる。街中には、茅葺門、生垣で作られた意匠に優れた門などが散在し、とりどりで飽きない街並である。
大都市で無機的な塀が連続する街並がこのように美しい石垣と生垣で飾られたらさぞ素敵だろう。
入来の温泉は濁った塩化物泉であり、非常に良く温まる療養型の温泉である。都会の街並でも掘れば温泉は湧く。都会にも足湯や手水があれば街の雰囲気は大幅に和むのだが。
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