神奈川県箱根町 箱根湯元
Hakone Yumoto,Hakone town,Kanagawa
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Dec.2023 柚原君子
白石地蔵尊 (しらいしじぞうそん)
箱根町湯本779 (箱根湯本駅すぐ裏)
名前の由来となった「白石」は早川凝灰角礫岩(はやかわぎょうかいかくれきがん)と呼ばれる今から400万年ほど前に堆積した海底火山の噴出物(箱根火山が活動を始める前の時代のもの)。軽石が大量に含まれていて全般的に白くて柔らかい。
仏像は柔らかい石の性質もあって今ではお顔などが崩れているが、磨崖仏(まがいぶつ)で、山肌から掘り出されている。鎌倉時代の製作と想定。
箱根湯本は早川と須雲川が箱根火山を削り込んだ谷底に発達してきた温泉で、周囲の険しい山や谷底に吹き出す温泉の噴気が地獄と見なされて、地蔵信仰が広がったとされている。
駅の直ぐ裏の山の中腹にあるが、なんとなくきちんと守られていない感じ。
湯本白山神社
足柄下郡 箱根町 湯本431
箱根町観光協会公式サイトの説明
『江戸時代まで「白山権現(はくさんごんげん)」と呼ばれ、地元の人々に温泉の守護神として崇められていました。石川県の「白山さん」と親しまれている白山神社総本宮の白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神を勧請したお社です。
境内には、伏見稲荷大社から勧請した稲荷社や水神社があり、手水舎には「白山水」と呼ばれる御神水が湧き出ています。
天平年間(729-748年)に関東に塙瘡(ほうそう)が大流行した時、加賀白山霊場の開祖泰澄から派遣された弟子浄定(『泰澄和尚伝記』に登場する泰澄の2人の弟子のひとり)が、天平10年(738年)箱根に白山権現社を建て、十一面観音を祭ったところ山から霊泉が湧き出し、病を治したという伝承があります。
祭神:白山比咩大神=菊理媛命(くくりひめ)、伊奘諾命(いざなぎ)、伊奘冉(いざなみ)命毎年5/5に例祭があります。』
茂った森の中にある神社。提灯に燈がついています。現在の社殿は昭和28年に改築されたもの。
境内の狛犬は大正年間のもので、珍しく耳がたっているタイプで子連れです。耳が立っていると躍動感があり、まるで生きているようにみえます。
とても静かな境内で秀吉が小田原城を攻めるときに、大岩を背にして座したという大きな岩も有り、注連縄がありました。
早雲寺
正眼寺(しょうげんじ)
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町湯本562
旧東海道から石段を数段登ると「正眼寺」。左側にお顔がいささか大きいお地蔵様がいらっしゃる。もともとは地蔵信仰から生まれたお寺さんで、はっきりとした創建年代は不明だそうだが、鎌倉期には存在したしるしがあり、そのころは『勝源寺』という字のお寺であったそうです。本堂・庫裏は、国登録重要文化財。境内にある曽我堂には2体の木造地蔵菩薩像(五郎の像は、鎌倉中期に製作・県指定重要文化財)があります。
境内の掲示板
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『建久四年(一、一九三)五月二八日富士裾野で父の仇工藤祐経を討ち本懐を遂げた曽我五郎十郎の菩提供養のため、兄弟の親類縁者によって兄弟が仇討成就を願って祈念参籠したといわれ、湯本地蔵堂の近くに曽我堂が建立されました。
その創建年代は明らかでありませんが江戸時代初期に修復された記録がありますので、それ以前に遡ることは確かです。江戸時代東海道箱根八里の沿道にあったこの堂の地蔵菩薩像は曽我歌舞伎の流行とともに曽我兄弟の化粧地蔵と呼ばれ、街道を行く旅人の信仰をあつめました。
明治元年(一、八六八)曽我堂は戦火にあい焼失しましたが、幸いにも両像は戦火を脱れました。大正三年(一、九一四)曽我堂は松竹歌舞伎の関係者によって再建され、昭和六十一年には台床光背を失っていた両像の修理が実施され元の御姿を拝することができるようになりました。』
小さなお寺ですが、足湯もあります。旧東海道の時代は賑わったお寺だったのでしょうね。
旧街道入口
箱根観音 福寿院
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋182
箱根湯本方面から旧東海道をのんびり歩いて行くと「白山神社」「正眼寺」を過ぎて左に大きく曲がった道の先の右側山の上のほうに見えてくるのが箱根観音。積み上げた石垣に大きな文字。登るのをたっていたら、降りてきたご夫妻が、跨がって祈る面白いものがあるからどうぞ上がってみてください、といわれたので、膝の弱い私にとっては特に急な階段だが思い切って挑戦してみる。一曲がり二曲がりで山の景色も変わってきて面白くなり、本堂まで上がることが出来た。本道は閉まってて入れない様子。きらびやかな様子。日本のお寺さんではなく、横浜中華街にあるお寺山のような色彩。帰宅して調べてみたら、台湾式の仏様で、きらびやかな下がりものは「光明消災燈」と言い、日本で唯一の「願い事を奉納する台湾式の燈籠」とのこと。
本堂正面には三国伝来秘仏である「開運出世慈母観世音菩薩」さまがあり、本堂右側には「媽祖観音菩薩」さま、左右には「順風耳」と「千里眼」がお祀りされているとのこと。
跨がって拝むのがおもしろいから、と教えて戴いたのは、本堂右横にある「跨(また)ぎなで観音」様。なるほど乗馬するように跨いで祈るそうなので、やってみました。観音様がこちらを向いていらっしゃるので対面する形で病のある部位を撫でるそうだ。観音様はご本尊様である、開運出世慈母観世音菩薩の分身とのこと。
階段をかなり上がってきて、山の頂上のような場所になる高さ。向かい側には山の頂上が見える。すごくスッキリした気持ちで箱根観音の階段を降りた。
箱根湯本古稀庵
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋182₋7
須雲川の脇、箱根観音福寿院の先にある「古希庵」。2005年に国登録有形文化財に指定されている現在は『箱根暁庵本店 暁亭』という名称で蕎麦店として営業。
建物は日本橋の商家のものであったのが始まりで、天井はやや低く、柱もやや細いがガラスが光が屈折して景色がゆらゆらと揺らぐ大正ガラスを使用しているので、雰囲気がとても良い。
古希庵はもともとは明治40年に古希を迎えた。山縣有朋公(やまがたありとも……政治家、軍人、元総理大臣(1838〜1922))が、小田原に建てた別荘「古希庵」の一郭に建てられた夫人のための離れ家だった。
直ぐ近くのホテルに宿泊予定だったので、お蕎麦をいただきには上がらずに、お庭と周囲を散歩してお写真を頂きました。お客様も多くいらして繁盛していました。ガラス窓、長い廊下、低い天井、裏に回ると小さな滝と枝折り戸。こじんまりとした落ち着いた雰囲気でした。
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