神奈川県鎌倉市 長谷寺
Hasedera,Kamakura city,Kanagawa
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花と眺望 | |
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June 26,2023 柚原君子
Nov.25,2016 柴田由紀江
撮影:June 3,2016
長谷寺の紫陽花
観音山の下境内
加茂花菖蒲園とタイアップ。
バラの育種家は常に無銘の新花をストックして置き
時を見て世に出すと、聞いたことがあるが、加茂花菖蒲園
の新花に長谷寺で命名して展示してあり多くの人の関心を
集めていた。
眺望散策路の紫陽花
入り口付近に15分から90分以上の待ち時間が表示された大きな看板が。
この日は午後3時を回っていたためか待ち時間が無かったが、西斜面
なので、午前中はかなりの混雑と推測されます。
長谷寺のホームページによると、『平成の初頭にアジサイの栽培を始めたのがきっかけで、
現在では在来種をはじめ40種類以上約2500株のアジサイが群生』
しているとのこと。
多数のアジサイの鉢が置かれている。
神奈川県鎌倉市長谷3-11-2
海光山 慈照院 長谷寺
(Hasedera Temple, Kamakura City, Kanagawa Pref.)
伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。
当寺の梵鐘には文永元年(1264年)、当時の住職真光の勧進により鋳物師物部季重が造った旨の銘文があり、この頃には長谷寺が存在していたことと、当時は「新長谷寺」と呼ばれていたことがわかる。鎌倉時代にさかのぼる遺物としては他に弘長2年(1262年)および徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏(かけぼとけ)などがある。
長谷寺は江戸時代の初め、慶長12年(1607年)の徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗した。当時の住持玉誉春宗を中興開山としている。太平洋戦争終戦直後に、金戒光明寺、知恩院という浄土宗の二大本山が浄土宗から独立した混乱期に、浄土宗から独立し単立となった。
観音堂等の主要な堂宇は海を見晴らす山腹に建てられている。諸堂は関東大震災で倒壊後の再建である。長谷寺は文人とゆかりが深く、境内には高浜虚子の句碑、久米正雄の胸像などがある。高山樗牛は明治34年(1901年)、ここに住んだことがあり、その記念碑もある。
(ウィキペディア「長谷寺(鎌倉市)」より)
花の寺としても知られ、この季節、ボタン、シャクナゲ、シャガ、フジなどが咲いている。
江ノ電長谷駅から歩いて数分である。
山門あたり、非公開の本堂もある。
中に入ると庭園が広がる。
弁天窟
書院(写経場)
地蔵堂へ
鐘楼、阿弥陀堂、観音堂
経蔵からさらに上に
下る。
山門に戻る。
Dec.2,2014 松田浩志
『長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院。山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称される。本尊は十一面観音、開山は僧侶の徳道とされる。坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所である』
ウイキペディアより転載
Feb,2004 瀧山幸伸
早春の鎌倉 Kamakura in early spring , Kanagawa
長谷寺 Hasedera source movie
長谷寺前
長谷寺
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