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神奈川県横浜市中区 ホテルニューグランド

Hotel Newgrand,Nakaku,Yokohama City,Kanagawa

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September 7 and 8, 2019 野崎順次 source movie

横浜市は関東大震災で壊滅的な打撃を受けたため、当時の横浜市長の提案により、横浜市在住の有力者を集めた「横浜市復興会」を結成。そこで決議された「外人ホテル建設の件」が、ホテルニューグランド建設の端緒となった。名称は公募によって集められたが、関東大震災で倒壊して廃業した外国ホテル「グランドホテル」の後継館として訪日客に謳う狙いで選ばれたとも、公募の中に適当な名称がなかったため横浜市復興会計画部長の井坂孝が命名したという説もあり、定かではない。

こうしてニューグランドは、横浜市復興計画の一環として官民一体となって建設が進められ、当初は今日の第三セクターとして発足した。現在の本館は、1927年創業時に渡辺仁の設計で建築され、クラシックホテルの代表例として名高い。1930年代は、ルーフガーデンで大桟橋など横浜港を見ながら食事ができた。ロビーの大階段の先には川島織物製のタペストリーがかかり、高さ6メートルのマホガニーの柱は現在も残る。洋風の豪華な造りである一方で和風の意匠も取り入れられ、メインダイニングでは御簾の奥で雅楽が奏された。

(中略)

1991年(平成3年) - 18階建て(高さ73m)のニューグランドタワーを開業する。

(ウィキペディア「ホテル・ニュー・グランド」より)

遠景

      

ニューグランドタワー

    

本館外部

           

本館1階

              

本館2階

                  

中庭

            


Mar.12,2019 柚原君子

横浜ニューグランドホテル
所在地:神奈川県横浜市中区山下町
1992年:横浜市認定歴史的建造物
2007年:近代化産業遺産認定
1927年、銀座和光などを設計した渡辺仁設計で建築され、クラシックホテルの代表例として名高い建造物。関東大震災以後の復興後に「外人ホテル建設の件」案が端緒となって建設された経緯があります。
1930年代は、ルーフガーデンで大桟橋など横浜港を見ながら食事ができたそうです。
どの部分から見ても歴史が感じられ、圧倒的な時代感が有ります。
ロビーの大階段の先には川島織物製のタペストリーがかかり、高さ6メートルのマホガニーの柱。洋風の豪華な造りである一方で和風の意匠も取り入れられ、メインダイニングでは当時は御簾の奥で雅楽が奏されたそうです。
初代会長は東洋汽船出身先の井坂孝氏。さらに当時東洋汽船サンフランシスコ支店長であった土井慶吉氏を自分の補佐として呼んでいます。新生ホテルの目玉として「最新式設備とフレンチ・スタイルの料理」をキャッチフレーズにレストランには特に力を注ぎ、総料理長には、先のアルフォンゾ・デュナンの紹介で、パリのホテルからスイス人コックのサリー・ワイル氏を据え、さらに元帝国ホテル第4代総料理長の内海藤太郎氏をその補佐につけるという最大級のスタッフで営業されます。
横浜ニューグランドホテルの厨房からは、ドリア、ナポリタン、プリンアラモードなど後々に広く庶民が愛する料理が生まれています。
また、「ホテルオークラ」、「プリンスホテル」「キャッスル」「コックドール」などの料理長を輩出していることでも有名です。
開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や、喜劇王チャーリー・チャップリン、米国の野球選手ジョージ・ハーマン・ルースなど著名人も多数来訪され、ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路、1945年にSCAPとして来日直後、それぞれ滞在しているそうです。
日本が第二次世界大戦に敗れた後の7年間は、マッカーサーが率いる占領軍将校宿舎として接収され、戦前の錚々たる宿泊者を記したゲストブックが持ち去られています。マッカーサーが当時宿泊していた315号室は「マッカーサーズスイート」として一般客も宿泊できます。
(参考資料:横浜ニューグランドホテルHP及びウキペディア)

                                                                                                                               


Sep./Oct.2009 撮影/文 柴田由紀江

ホテルニューグランド

神奈川県横浜市中区山下町10

設計:渡辺 仁

竣工:1927年(昭和2年)

山下町にまだ居留地制が布かれていた明治23年、アメリカ人建築家R.P.ブリジェンス(横浜市開港記念会館の設計者)により、居留地20番地に大型のホテルが建てられました。

その名は「グランド・ホテル」。当時の横浜を代表するホテルでした。

それから20年後の明治23年、フランス人建築家、P.P.サルダによって新館も増築され、グランドホテルはますます豪華絢爛に、そしてその存在価値は国際都市横浜の一等地に とって揺るぎないものとなりました。

ところが、悪夢の関東大震災が起きてしまいます。いったいどれだけの数の近代建築を滅ぼしたのか、グランドホテルもこの魔の手によって全壊してしまったそうです。

そこで立ち上がったのが神奈川県と横浜市でした。今でいう第三セクターのような事業、地元の財界からも出資を募って、新しいホテルの建設をすることになったといいます。

一般公募から採用されたホテルの名称も、かつてのグランドホテルを思う市民の気持ちがこもった『ニューグランド』と決まりました。

という訳で、この美しいクラシックホテルがこうして存在しているのですね。

客室の調度品も上品な焦げ茶色に統一され、落ち着いた静かな部屋でゆっくり過ごせました。

*客室の写真は、本館シングル(バス)ルームと本館グランドスイートルームです。

幸運なことに伝統ある本館2階のフェニックスルームとレインボールームの撮影も叶い、その2つのバンケットの待合所として機能するグランドロビーも、静寂に包まれてじっくり鑑賞出来ました。

窓の外は夕景の蒼い空、白い壁と天井のモールディングの織りなす陰影、創業当時の物という椅子の見事な彫刻、連なる大きな窓に下がった気品溢れるカーテンと絨毯の紺色。

それらを照らすオリエンタルな釣り照明とブラケットとフロアランプの温かな光が幻想的でさえありました。

階段壁のイタリアンタイルに目をやればしっとりと艶やかなグラデーション、エレベーターの時計は火焔に縁どられ、その上には綴れ織りの「天女奏楽之図」が飾られています。

                                                                            

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