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神奈川県鎌倉市/横浜市金沢区 朝夷奈切通

Asainakiridoshi, Kamakura city/Yokohama city,Kanagawa

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Dec.2, 2016 松田浩志  source movie

朝夷奈切通は、鎌倉市の北東端部、横浜市との市境をまたいで所在する、鎌倉と東京湾側の外港、六浦(横浜市金沢区)とを結ぶ峠道である。 

鎌倉七口の一つとして昭和四十四年に史跡指定され、平成十五年に切通道の西側出入り口部付近の納骨堂跡が追加指定された。

横浜市金沢区の現行地名は「朝比奈町」であるが、貞享二年(一六八五)刊行の地誌『新編鎌倉志』では「朝夷奈切通」と表記している。 

『吾妻鏡』によれば、仁治二年(一二四一)四月から執権北条泰時の監督のもとで開削工事が進められ、建長二年(一二五〇)六月には補修工事が行われた。 

既指定地は東西延長一キロメートル、南北幅約四〇メートルの範囲と納骨堂跡の平場で、周辺部にはやぐら群や切岸、削平地等の遺構が広がり、 往時の景観をよくとどめている。 

国指定文化財等データベースより転載

切通は、鎌倉と六浦の地を結ぶ重要な交通路であり、六浦や釜利谷で生産された塩なども切通を通って鎌倉に運ばれた。

鎌倉・十二所(じゅうにそ)の光触寺(こうそくじ)に伝来する塩嘗地蔵は、もと金沢街道沿いにあったといい、商人たちの盛んな往来を物語っている。

江戸時代、各種の鎌倉案内絵図に「金沢道きりとうし」「アサイナ切通シ」「峠坂切通シ・金沢道」などとある。 

明治前半期の古写真には頂上の大切通に茶店が写されており、佐藤善治郎著の『鎌倉大観』(明治35年)にも茶店の紹介がある。

江戸期を通じて麓の村民たちにより道普請が繰り返し行われ、切通の入口付近に数基の供養塔が残っている。

切通は、昭和31年(1956)に切通を迂回する金沢鎌倉線の開通まで県道として利用されたが、その後の周囲の開発も切通し道を破壊するまで至らなかったため、往時の姿を比較的良くとどめている。 

横浜市教育委員会ホームページ転載

                                                                                                                              

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