神奈川県鎌倉市 英勝寺
(Eishoji Temple, Kamakura City, Kanagawa Pref.)
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鎌倉市扇ガ谷1-16-3 英勝寺 仏殿 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永20(1643) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、瓦棒銅板葺 棟札4枚、扁額1面、梁牌2枚 20130807
鎌倉市扇ガ谷1-16-3 英勝寺 山門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永20(1643) 三間一戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺 棟札2枚、扁額2面 20130807
鎌倉市扇ガ谷1-16-3 英勝寺 鐘楼 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永20(1643) 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、瓦棒銅板葺 20130807
鎌倉市扇ガ谷1-16-3 英勝寺 祠堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永20(1643) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅瓦葺 英勝院墓1基 20130807
鎌倉市扇ガ谷1-16-3 英勝寺 祠堂門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸前期 一間一戸平唐門、銅瓦葺 20130807
Nov.26,2016 川村由幸
東光山英勝寺
神奈川県鎌倉市扇ガ谷
May 23, 2015 松田浩志
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1−16−3
東光山 英勝寺
本堂内部
Dec.02,1014 松田浩志
『平成25年8月7日、鎌倉市の英勝寺に所在する「仏殿、山門、鐘楼、祠堂、祠堂門」の5棟の建造物が国の重要文化財に指定されました。
英勝寺は、徳川家康の側室英勝院が創建した寺院で、太田道灌の子孫である英勝院が先祖ゆかりの地に寺地を徳川将軍家から賜ったのが始まりです。
英勝院が水戸徳川家初代頼房の養母となった縁から、代々水戸徳川家の息女が住持を務めました。今回国指定重要文化財となった5棟の建造物は、
既に県の重要文化財に指定されていましたが、江戸時代前期に建立で意匠に優れた堂宇が高く評価され、この度、国の重要文化財に指定されました。』
鎌倉市教育委員会ホームページより転載
英勝寺
八坂大神
July 20, 2014 野崎順次 source movie
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1−16−3
東光山 英勝寺
英勝寺は、鎌倉にある唯一の尼寺(浄土宗)。1636年(寛永13年)に建立された。
開基は、英勝院尼で扇谷上杉氏に仕えた太田道灌から数えて四代の孫康資の娘。徳川家康に仕え、家康の命により水戸家初代の徳川頼房の養母となった。
家康に仕えていた頃の英勝院尼は、「戦には必ず勝利をもたらした」ので、「お勝の方」と呼ばれ、壽福寺前にあったとされる鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」は、英勝院尼が架けたことからこの名がついた。
家康の死後、徳川三代将軍家光より道灌の土地を譲り受け、英勝寺を建立し、頼房の息女玉峯清因を開山に迎えた。徳川光圀もこの寺を訪問しており、英勝院尼没後は水戸家の姫君が代々住職を勤めたため、「水戸御殿」とも呼ばれたが、六代の清吟尼を最後に水戸家からの住持は絶え、徳川家の支援によって維持された。
(鎌倉手帳 寺社散策ウェブサイトより)
パンフレット、通用門および惣門
国重文 山門 江戸前期 寛永二十年(1643)
三間一戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺
国重文 鐘楼 江戸前期 寛永二十年(1643)
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、瓦棒銅板葺
国重文 仏殿 江戸前期 寛永二十年(1643)
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、瓦棒銅板葺
仏殿の蟇股彫刻は十二支
仏殿内部
国重文 祠堂門 江戸前期
一間一戸平唐門、銅瓦葺
国重文 祠堂 江戸前期 寛永二十年(1643)
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅瓦葺
英勝院の位牌を祀る建物で、保護のため、外部は鞘堂で覆われている。
庭園
三霊社権現など
書院から竹林
参考資料
英勝寺パンフレット
国指定文化財等データベース
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