神奈川県鎌倉市 浄智寺
Jochiji,Kamakura city,Kanagawa
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Dec.2, 2016 松田浩志
神奈川県鎌倉市山ノ内1402
鎌倉五山の第四位
臨済宗円覚寺派
金宝山 浄智寺
(Jochiji Temple, Kamakura City, Kanagawa Pref.)
五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、夫人と子師時が創建した(宗政は師時の父)。開山に招かれたのは、南洲宏海であったが、任が重いとして、師の大休正念を迎えて入仏供養を行い、既に世を去っていた師の兀菴普寧を開山としたことから、三人の名が連ねられている。兀菴(ごったん)はよく揉め事を起こし、「ゴタゴタ」の語源となった和尚。
二階に花頭窓のある鐘楼門(山門)は珍しく、曇華殿(仏殿)には本尊の三世仏如来坐像が安置されている。
(鎌倉手帳寺社散策ウェブサイトより)
浄智寺境内全域は国指定史跡である。
アプローチ、JR鎌倉駅から線路沿いの道路(西側)を歩く。
パンフレットと現地説明板
甘露の井と三門あたり
参道石段と鐘楼門、シャガが咲き乱れている。
仏殿(曇華殿)
仏殿内部、木造三世仏座像、木造達磨大師像、木造大休正念像、木造南州宏海像など
県文 木造三世仏座像 15世紀半ば
向かって左から、阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・未来を表す。
木造観音菩薩立像 南北朝
もと山門の上に五百羅漢と一緒にまつられていた。
仏殿周囲
奥の方へ行くと、崖にやぐらが多く、観音像や布袋石像がまつられている。
石段を下りて、山門に戻る。
桜の花などを愛でつつ、駅に戻る。
北鎌倉の駅が好きだ。小津安二郎作映画「麦秋」の冒頭に出てきた。そういえば、小津は浄智寺の近くに住んでいた。
洞門の保存を訴える人々
参考資料
当寺パンフレットと現地説明板
ウィキペディア「浄智寺」
Feb.7,2016
浄智寺の紫陽花
Dec.02,2014 松田浩志
『鎌倉五山の第四位。
北条宗政の妻と子の師時(もろとき)が1281年(弘安4)ごろに建てたようです。この寺には、鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」(かんろのい)があります。甘露といわれたほどですから、さぞおいしい水だったのでしょう。
豊かな緑におおわれた境内は、国の史跡に指定されています。』
鎌倉市ホームページより転載
「浄智寺」とその界隈
(鎌倉五山 第四位 金宝山 臨済宗円覚寺派)(北鎌倉駅徒歩5分)
北鎌倉駅から鎌倉街道を鎌倉駅のほうに向かいます。左に円覚寺、過ぎて右手に東慶寺が見えます。東慶寺の先の赤いポストを右折すると浄智寺があります。
深い山の中に入っていく気分です。中国風鐘楼門様式の三門へと続くすり減った鎌倉石の石段は映画『武士の一分』で、主人公(木村拓哉)の妻(檀れい)が、墓参りするシーンで使われたそうで、踏み減った石段に歴史が感じられます。
浄智寺創建は13世紀の終わりごろ。鎌倉では北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が最も栄えた時期。開基は北条時頼の三男宗政が29歳の若さで1281年に没し、その夫人が一族の助けを得て寺を起こしたとのこと。仏殿、方丈、鐘楼、外門、総門などがあったそうですが、大正2年の関東大震災でほとんどが倒潰。現在は三門、楼門、仏殿(曇華殿)、客殿などが伽藍をつくっています。
仏殿には木造三世仏坐像があります。阿弥陀、釈迦、弥勒如来様で15世紀半ば頃の作。近づくことはできませんが、衣は鎌倉地方に多い裾を台座に長く垂らした様式だそうで、秋の日に柔らかく優しくお座りでした。鎌倉国宝館に出陳中のものは「木造地蔵坐像」「木造韋駄天立像」「西来庵修造勧進状」。いすれも重要文化財です。
仏殿の脇の小さな隧道を抜けていくと七福神の一つ布袋尊が祀られています。お正月に家族と囲んだ福笑いを想像します。とてもユニークなお顔で観ていてほっとします。つられて笑顔になります。
浄智寺の脇を抜けると北鎌倉在住で100歳まで月に一作品を描き続けた女流画家「小倉遊亀」さんのご邸宅がひっそりとした門構えを見せています。お亡くなりになる以前は中を通って抜けていくことができた、と通りがかりのご婦人がおっしゃっていました。この先で舗装道路は終わって山道に入ります。葛原岡ハイキングコースとなり源氏山公園から銭荒井弁天に抜けることができます。
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