神奈川県鎌倉市 大船観音寺
(Ofuna-kannonji Temple, Kamakura City, Kanagawa)
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Nov.2011 野崎順次
神奈川県鎌倉市岡本1−5−3
宗教法人 大船観音寺
撮影日: 2011年11月7日
昭和30年前後、私はまだ小学校高学年だった。東京の目黒に親戚の家があり、特急「つばめ」で大阪から東京まで8時間かけて行ったことが数回あった。大船観音さんが見えると、やっと東京に近づいたという鮮明な記憶が残っている。私にとって、大船観音は東京の入口のシンボルだった。
大船観音(白衣観音)像の経緯は、
昭和2年2月、金子堅太郎氏、頭山満氏、清浦圭吾氏、浜地天松氏、花田半助氏らが集い、「観音思想の普及を図り、以て世相浄化の一助となさん」という「護国大観音建立会」の趣意書を作成し、寄付金の勧募が始めた。
昭和4年4月14日、起工式が行われ、工事が着手された。立像台石高さ30尺、身長百尺の鉄筋造といふ偉大なもので、奈良東大寺に在す日本一の大仏さんの約2倍の高さを目指したが、建立予定地が東側斜面に崩れる地層であることから、胸像に変更されたといわれている。
昭和9年には、世界恐慌という世相の中で寄付金は思うように集まらず、とうとう工事が中断され、観音像は未完成のままの状態で23年間放置されることとなった。
昭和29年11月2日、財団法人「大船観音協会」が安藤正純氏、高階瓏仙禅師、五島慶太氏らが発起人となって発足した。 画家の和田三造氏、建築家の坂倉準三氏らに意見を求め、東京芸術大学教授で建築家の吉田五十八氏を中心に、同大学教授で彫刻家の山本豊市氏の設計と指導のもとに修仏工事が進められることとなった。
昭和32年5月18日、起工式が行われ、昭和35年4月28日に落慶式が行われた。
観音像の大きさは、高さ25m、中19m、奥行13m。
昭和56年11月20日、神奈川県より寺院としての認証を受け、現在に至る。
パンフレットとJR大船駅からのアプローチ
山門から観音像へ
大船観世音菩薩像
観音像背後から胎内に入る。
境内
南と西からの遠望
参考資料
大船観音寺HP
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