神奈川県鎌倉市 東慶寺
Tokeiji, Kamakura city,Kanagawa
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神奈川県鎌倉市山ノ内1367
臨済宗円覚寺派
鎌倉尼五山二位
松岡山 東慶寺
(Tokeiji Temple, Kamakura City, Kanagawa Pref.)
東慶寺は今から約720年前、弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創いたしました。
封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。 明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。 明治38年(1905)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。 師の高徳ゆえ、門下には居士、哲学者、政財界人多く、鈴木大拙もその一人でありました。 のちに裏山に「松ヶ岡文庫」を設立、世界的禅文化の発展の拠点ともなりました。
現在では、かつての尼寺の風情を残す境地に、四季折々の花々が参拝客をお迎えしています。 皆様がこのお寺に来て、心の安らぎを感じられるよう願っております。
東慶寺前住職 井上正道
(東慶寺ウェブサイトより)
梅の名所ということで訪れた。まだ3分咲きであったが、気持ちの良いお寺だった。
パンフレット
山門から参道
本堂あたり
Feb.17,2016 松田浩志
2016年2月7日
三門脇の梅は開花。参道の梅はまだまだの状態
Feb. 7, 2015 松田浩志
「東慶寺は今から約720年前、弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創いたしました。
?封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。 明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。 明治38年(1905)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。 師の高徳ゆえ、門下には居士、哲学者、政財界人多く、鈴木大拙もその一人でありました。 のちに裏山に「松ヶ岡文庫」を設立、世界的禅文化の発展の拠点ともなりました。」
東慶寺ホームページより転載
さだまさしさんのファンとしては絶対通り過ぎることができない「東慶寺」(縁切り寺)です。
さださんファンの間では時々歌詞物議があります。この縁切り寺も「紫陽花という花を持ってくるのに東慶寺は相応しくないでしょう。なぜならあまりにも近くに明月院があるからです」とか、縁切り寺は軽く歌に歌える別れのスポットではなく「別れを求めるものが願をかけるところです」とか。
東慶寺は別れたい為に駆け込んだり願をかけたりするお寺ですが、さださんの歌では自分を振った彼女への未練を断ち切りに、縁切寺に来ているようです。境内には紅葉に混じって彼岸桜でしょうか白い花がひっそりと咲いていました。彼岸桜に悲願の文字が重なって見えた鎌倉の小さなお寺、東慶寺でした。
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