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神奈川県鎌倉市 永福寺跡

Yofukujato,Kamakura city,Kanagawa

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Nov.14,2017 柚原君子

所在地:神奈川県鎌倉市二階堂178

永福寺は鎌倉時代初期に鶴岡八幡宮、勝長寿院とともに源頼朝が建てた三大寺社の一つです。1966(昭和41)年、鎌倉時代を代表する遺跡がここにあるだろうとして、永福寺跡地とその周辺8万6000㎡を国が史蹟として指定されました。

寺社は焼失したままで建て替えられることがなかったので現存していませんが、囲んでいる山々の尾根までが寺域と想定されているそうですので、ほぼ半世紀を掛けて鎌倉市が土地の所有者だった鎌倉宮や民間から土地を買い取り、国や県からの出資も合わせて、1983(昭和58)年から15年をかけて発掘調査がなされています。その結果、二層の本堂の両脇に阿弥陀堂と薬師堂を配置し、お堂の前には大きなひょうたん型の池が広がるという大寺院の姿が浮上してきました。平成29年、礎石としてその形が公開されました。ただし出土した礎石はそのまま埋められて、現在の形を成している礎石はレプリカです。また壮大な寺院の様子は湘南工科大学の協力でコンピューターグラフィックによって復元され、その美しい在りし日の大寺院の姿は鎌倉市教育委員会の説明板の中に表示されています。

永福寺は、討伐した奥州藤原氏のたたりを鎮護するために、平泉で見た中尊寺の二階大堂大長寿院をモデルに、源頼朝の居住地・大倉幕府から見て鬼門の方角である当地に建てられています。しかし、たたりを鎮護する寺であったためか頼朝はあまり訪れなかったといわれています。

永福寺は二階建ての本堂であったことから、この辺りは「二階堂」という地名として現在も残っています。礎石で示された建物の台座を渡り歩きながら、鎌倉時代の栄華を思いました。

                                     


Oct. 10, 2015 松田浩志

『永福寺跡(ようふくじあと)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある史跡。

永福寺は鎌倉時代初期、源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、

鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建てであった事から二階堂とも称された。

現在、永福寺跡周辺が「二階堂」と呼ばれているのも、この建物が由来となっている。

昭和58年(1983年)から開始された調査で翼廊跡などが確認された。寺跡は国の史跡に指定されている。

源頼朝は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。

建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。

建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。

応永12年(1405年)の火災ののち廃絶した。』

ウイキぺデイアより転載

            

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