神奈川県鎌倉市 建長寺
Kenchoji ,Kamakura city,Kanagawa
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鎌倉市山ノ内8 建長寺山門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 安永4(1775) 三間一戸2階二重門、入母屋造、正面軒唐破風付、銅板葺 20050722
鎌倉市山ノ内8 建長寺昭堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺 19220413
鎌倉市山ノ内8 建長寺大覚禅師塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 鎌倉後期 石造無縫塔 19340130
鎌倉市山ノ内8 建長寺唐門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永5(1628) 桁行一間、梁間一間、向唐門、銅板葺 19220413
鎌倉市山ノ内8 建長寺仏殿 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永5(1628) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、瓦棒銅板葺、もこし正面軒唐破風付 19220413
鎌倉市山ノ内8 建長寺法堂 重文 近世以前/寺院 江戸後期 文政8(1825) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、銅板葺 20050722
Nov.16,2019 柴田由紀江
March 16, 2019 野崎順次 source movie
神奈川県鎌倉市山ノ内8
臨済宗建長寺派 大本山
鎌倉五山第一位
巨福山 建長寺
今回の主目的は方丈庭園をじっくり見てから、境内の最奥部の半僧坊に登り、尾根道をたどってから鎌倉の町に降りるというちょっとしたハイキングコースである。
総門、三門、仏殿、法堂は駆け足で
方丈、唐門
国史跡名勝 建長寺庭園 江戸初期 池泉観賞式
本庭は本寺東庭にあたり、面積は約六百坪ほどあり、やや南北に細長い池泉をうがち、中島二島があるが、本池庭の地割ははなはだしく州浜的曲線を用いてあって、天竜寺池庭に酷似したものがある。
(中略)
この池泉は早く元享時代(1321-24)に存在したことを語っているから、やはり本庭は鎌倉期に道隆が作庭し、寛永期再建後に改修された点が多く、江戸初期の細部を持っている。
築山部の枯滝石組には初期の手法があり、他の石組の多くは寛永期の手法となっているが、いずれにしても本庭はそうした観点から十分注意をして一覧する要がある。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」建長寺庭園より)
半僧坊へは長い石段があり、最後は天狗たちが迎えてくれる。
半僧坊からの眺め
まだ登るのかと、さらに進む。勝上嶽展望台から相模灘が見える。
ここから尾根道を進む。
これが十王岩か? いや、次のこれが?
今泉台分岐から下界へ
Nov.26,2016 川村由幸
巨福山建長寺
神奈川県鎌倉市山ノ内
Nov.3, 2015 松田浩志 source movie
唐門
半僧坊
Sep.12,2015 瀧山幸伸 source movie
June30,2015 松田浩志
神奈川県鎌倉市山ノ内8番地
『当寺は臨済宗建長寺派の大本山であり、鎌倉五山の第一位に位する。建長五年(1253)後深草天皇の勅を奉じ、
北条時頼(鎌倉幕府五代執権)が国の興隆と北条家の菩提の為に中国より名僧蘭渓道隆を招き建立した。
創建当初は中国宋の時代の禅宗様式七堂伽藍に四十九院の塔頭を有し厳然たる天下の禅林であった。
また、建長寺は日本で初めて純粋禅の道場を開き、往時は千人を越す雲水が修行していたと伝えられるわが国最初の禅寺である。』
臨済禅・黄辟禅公式サイトより転載
No.1〜No.57 山門・五百羅漢(楼上)
No.58〜No.62 仏殿
No.65〜No.83 法堂
No.84〜No.102 唐門
No.103〜No.111 方丈
No.112〜No.117 庭園
Dec.3,2013 柚原君子
神奈川県鎌倉市山ノ内8
巨福山 建長寺
撮影日: 2011年9月17日
鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。 建長5年(1253)北条時頼が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建した、わが国最初の禅の専門道場。 最盛期には塔頭が49院あったが火災により焼失。現存する建物は江戸時代以降に再建または移建されたものである。 総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲む。 寺宝も豊富で木造漆塗りの須弥壇、木造北条時頼坐像などの国重文がある。絵画、書の優品も多数。境内は史跡。
総門
創建年次未詳だが建治元年(1275)頃とみられる。現在のものは昭和15年、京都般舟三昧院より移築された表門である。
重文 三門 安永4年(1775)再建
三間一戸2階二重門、入母屋造、正面軒唐破風付、銅板葺。総門をくぐると正面に高さ約30メートルの重層門がそびえ立つ。楼上には五百羅漢像が祀られている。三門は空・無相・無作の三解脱門の略称で、一般には山門と書く。室町期の禅宗様を踏襲した重層門は威風堂々たる「本山の顔」である。
妙高院
国宝 梵鐘 建長7年(1255)鋳造
三門向かって右手の鐘楼にかけられている。銘文によると、建長七年(1255)開基北条時頼が大檀那となり、開山蘭渓道隆が銘文を撰して、当時関東における鋳物師の物部重光の鋳造である。建長寺創建当初の数少ない貴重な遺品の一つであり、円覚寺、常楽寺とともに鎌倉の三名鐘。
樹齢750年を越える柏槙(びゃくしん)
重文 仏殿
寄棟造で単層裳階付き。現在のものは正保四年(1647)、芝増上寺の霊屋を譲り受けたものである。本尊地蔵菩薩安置する他、かつて土地堂にまつられていたであろう伽藍神・祖師像それに千体地蔵・伝心平地蔵などを安置している。
重文 法堂(はっとう) 文化十一年(1814)
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、銅板葺。仏殿の後ろにあり、大法を説く堂、古代寺院では講堂に当たる。現在は千手観音像を安置。当初の法堂は建治元年(1275)の創建であるが、現存の法堂は再建。
重文 唐門
唐門は屋根が唐破風になっている門のことで中国式という意味ではない。仏殿と同じく芝増上寺の霊屋の門を移築したとされる。
方丈(竜王殿)
昭和18年(1943)、総門と一緒に京都般舟三昧院から総門とともに移築されたもので、宝冠釈迦如来坐像が安置されている。方丈背後の庭園は、蘭渓道隆の作庭で国の名勝に指定されている。禅宗庭園の源となった。心という字を池の形としたため「心字池」と呼ばれている。
参考資料
臨済禅 黄檗禅 公式サイト
鎌倉市観光協会HP
文化財遺産データベース
A camera
B camera
三門
法堂
唐門
僧院
半僧坊
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