神奈川県小田原市 小田原文学館
Odawara Bungakukan, Odawara city,Kanagawa
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July 23, 2016 野崎順次 source movie
<神奈川県小田原市南町2−3−4
小田原文学館
(Odawara Literature Museum, Odawawa City, Kanagawa Pref.)
小田原は、温暖な気候ゆえに、明治期以降は多くの政財界人や文学者が居住しました。文学者では、北原白秋や坂口安吾などの文学者など十数名にのぼります。小田原出身の文学者では、近代文学の先駆者とされる北村透谷、芥川賞作家で文化勲章を受章した尾崎一雄、また民衆詩派の中心詩人であった福田正夫や昭和20年代後半「抹香町もの」で一世を風靡した川崎長太郎などを輩出しました。このように小田原には出身やゆかりの作家が数多くいます。小田原文学館では、その生涯や作品を常設展示と特別展示によって幅広く紹介しています。
(小田原市ウェブサイト)
この小田原文学館本館と別館(白秋童謡館)は田中光顕別邸です。田中光顕は天保14(1843)年、土佐藩(高知県)に産まれ、土佐勤王党に参加しますが、弾圧が始まると土佐藩を脱藩します。このとき浜田辰弥から田中光顕と名前を変え長州藩(山口県)を頼って陸援隊に参加します。坂本龍馬、中岡慎太郎の暗殺現場に一早く駆けつけ、中岡死後の陸援隊を統率しました。また、維新後は陸軍中将、宮内大臣などを勤めました。
(小田原城街歩きガイド)
パンフレットと現地説明板
北村透谷碑
建立から紆余曲折してこの文学館に落ち着いた透谷碑は、昭和4(1929)年に小峰の大久保神社境内に建立されました。当初は透谷の生家に建立する予定でしたが不浄の死に方をしたことや、作品に危険性があるとしてなかなか許可が下りなかったそうです。
透谷の友人であり尊敬をしていた島崎藤村は、長文の答申書を当局に提出しやっとの思いで許可が下りました。様々な理由で除幕式が行われたのは建立から4年後の昭和8年。
参列者も身内と関係者数人という寂しいものでした。
『北村透谷に献ず』と刻まれてます。これは藤村の筆によるもの。断崖造りのデザインは福田正夫の義兄の牧雅夫によるものです。昭和29(1954)年に小田原城馬屋曲輪に移されますが、この移転には兼ねてから異論があり、平成22(2010)年末、馬屋曲輪整備に伴い文学館に移されました。
(小田原城街歩きガイド)
国登文 小田原文学館(旧田中光顕別邸)本館 昭和12年(1937)
宮内大臣などを務めた政治家田中光顕の別邸で,展示施設として活用。RC造3階建の本館部と木造平屋建の管理棟からなる。本館はスパニッシュ瓦葺,東南隅のサンルーム,3階のベランダやパーゴラ等がモダニズムの特徴を示し,近代別荘地の景観を伝えている。
(国指定文化財等データベース)
この洋風建物は、三階建の本館と木造平屋建の管理棟よりなり、ともに屋根はスペインから輸入した瓦を用いたスパニッシュ瓦葺です。本館一階の談話室と二階洋室の南面に張り出したサンルーム及び三階のべランダは昭和初期のモダニズム建築の特徴をよく示しています。また、北面中央部に設けた階段はゆったりした勾配の造りで、笠石に大理石を用いた手摺の意匠は繊細で優れています。
(小田原城街歩きガイド)
建物内部とベランダ
それから
尾崎一雄邸書斎
小田原下曽我にあった尾崎一雄邸の書斎を移築したものです。可能な限り元の部材を利用しており、調度品類も尾崎家より寄贈されたものです。書籍類はもちろんの事、尾崎が漬けたという梅干までありました。
(小田原城街歩きガイド)
白秋童謡館の門と庭
国登文 小田原文学館(旧田中光顕別邸)別館 白秋童謡館 大正14年(1924)
昭和前期まで活躍した政治家田中光顕の別邸で,白秋童謡館として活用。木造2階建,1部地階付,正面右に玄関を設ける。屋根は入母屋造・瓦棒銅板葺で,各階に銅板庇を廻す。内部は開放的な数寄屋風の意匠で,玄関奧には洋室をもち,近代の別邸建築の好例。
(国指定文化財等データベース)
田中光顕別邸として大正12(1924)年に建てられた純和風の建物は、藤棚で覆われた贅沢な外観、天守閣や武家屋敷を模して造られました。
(小田原城街歩きガイド)
小田原文学館(登録有形文化財(平成12年9月26日登録)
所在地:神奈川県小田原市南町2-3-4
交通 :小田原駅より徒歩15分
■幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として建てたものです。
建物は当時の上流階級の間で流行した南欧風の造りで昭和12年建築。屋根瓦はスペインから輸入した瓦を用いたスパニッシュ瓦葺。本館一階の談話室と二階洋室の南面に張り出したサンルーム及び三階のべランダは昭和初期のモダニズム建築の特徴をよく示している、と案内板にありました。また、北面中央部に設けた階段はゆったりした勾配の造りで、笠石に大理石を用いた手摺の意匠は繊細で優れている、とありました。
が、残念ながら館内は撮影禁止でした。文学作品が多数展示してあるから、とのことでした。作品を撮らないで、柱とかベランダなら宜しいですか?と管理人に確認を取って、撮れるところだけ撮らせていただきました。
文学館の庭を横切ると<白秋童謡館>と<尾崎一雄邸書斎>が二棟あります。が、矢張りこれらも撮影禁止。残念ながら外部のみの撮影となりました。
■蛇足ながら……「小田原文学館はどちらですか?」と道行く上品な老婦人にうかがいましたら、信号2つ向こうを右に曲がった左側ですよ、と丁寧に教えていただきました。信号二つ目で右側に文学館を確認しましたが、左側には何やらとてつもなく大きく古い邸宅がありました。ちょっと興味をそそられて左側に折れました。大きく古い邸宅は個人の所有で、庭にある数本の大きなケヤキを、スゴイ〜と塀越しに見上げていたら、後で息遣いが……。
「あの、小田原文学館はあちら、右の方ですよ。私の教え方が悪かったのね、ごめんなさい」、と先ほどの老婦人が息せき切って戻ってきてくださっていたのでした。大きく古い邸宅にフラフラと寄って行ったとはいえず、「戻ってきていただいて申し訳ありません。ありがとうございました」、と言うのが精一杯でした。
<旅人は道を教えていただいたら、正しく歩きましょう>。小田原の教訓でした。
尾崎一雄邸書斎
白秋童謡館
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