神奈川県横浜市中区 三渓園
Sankeien,Nakaku,Yokohama city,Kanagawa
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生糸王による重要文化財の集積 |
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横浜市中区本牧三之谷58-1 旧東慶寺仏殿 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永11(1634) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、茅葺、もこしこけら葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 旧燈明寺三重塔 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 三間三重塔婆、本瓦葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 旧燈明寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺 19210430
横浜市中区本牧三之谷58-1 旧矢箆原家住宅(旧所在 岐阜県大野郡荘川村) 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 桁行24.0m、梁間13.2m、一重三階、入母屋造、茅葺、北面及び東面庇付、こけら葺、南面水屋附属 19560628
横浜市中区本牧三之谷58-1 月華殿 重文 近世以前/住宅 桃山 桃山 竹の間、檜扇の間及び三面の縁より成る、一重、入母屋造、檜皮葺、庇こけら葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 春草廬 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 三畳台目茶室、一重、切妻造、こけら葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 聴秋閣 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 一階上の間、次の間、二階二畳及び階段室より成る、二重、上重寄棟造、下重入母屋造、総檜皮葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 天授院 重文 近世以前/寺院 江戸前期 慶安4(1651) 桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、茅葺 19600609
横浜市中区本牧三之谷58-1 臨春閣 第一屋 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 式台、鶴の間、瀟湘の間、花鳥の間、台子の間及び縁より成る、一重、入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 臨春閣 第二屋 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 琴棋書画の間、浪華の間、住の江の間、繁の間及び縁より成る、一重、矩折入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺 19311214
横浜市中区本牧三之谷58-1 臨春閣 第三屋 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 一階 天楽の間、次の間、縁、二階 村雨の間、縁及び階段室より成る、二重、上重矩折寄棟造、檜皮葺、下重こけら葺 19311214
神奈川県横浜市中区本牧三之谷町56−1
三溪園
(Sankeien Garden, Naka-ku, Yokohama City, Kanagawa Pref.)
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)
東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
(三溪園公式ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
蓮池と大池と結婚カップル
国重文 旧燈明寺三重塔 室町前期 康正三年(1457)
京都府相楽郡加茂町(現木津川市)より1914年移築。
三間三重塔婆、本瓦葺
園内のほぼ全域から見える三重塔は三溪園の象徴である。
展望台あたり
国重文 旧東慶寺仏殿 江戸前期 寛永十一年(1634)
東慶寺(鎌倉市)より1907年移築。
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、茅葺、もこしこけら葺
禅宗様の特色を色濃く残す。
国重文 旧矢箆原(やのはら)家住宅 江戸後期
白川郷の合掌造民家、岐阜県大野郡荘川村(現高山市)より1960年移築。
桁行24.0m、梁間13.2m、一重三階、入母屋造、茅葺、北面及び東面庇付、こけら葺、南面水屋附属
屋根の妻側には火灯窓や扇が彫られた欄間がある。内部では、古い民具の展示をしている。
横笛庵 明治41年(1908)
田舎家風草庵、法華寺(奈良)からの移築ともいわれる。
国重文 旧燈明寺本堂 室町前期
1948年、京都府加茂町(現木津川市)で台風大破後解体格納、1982年三溪園に移築。
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺、中世密教寺院
内苑に入る。3組目の結婚カップル。
国重文 旧天瑞寺寿塔覆堂 桃山 天正十九年(1591)
豊臣秀吉が母の長寿を祝って建てたといわれ、旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年移築。
迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根が重厚である。
国重文 聴秋閣 江戸前期 元和九年(1623)
二条城内に建築、江戸、東京の移築を経て、大正十一年に移築。
一階上の間、次の間、二階二畳及び階段室より成る、二重、上重寄棟造、下重入母屋造、総檜皮葺
国重文 天授院 江戸前期 慶安四年(1651)
もと鎌倉市心平寺の地蔵堂。1916年移築。
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、茅葺
建築様式は禅宗様を主体とする。
国重文 月華殿 桃山 慶長八年(1603)
三室戸寺金蔵院(京都府宇治市)より1918年移築。
竹の間、檜扇の間及び三面の縁より成る、一重、入母屋造、檜皮葺、庇こけら葺
国重文 臨春閣 第一屋 第二屋 第三屋 江戸前期 慶安2年(1649)
旧紀州徳川家藩別邸(和歌山県岩出市)、1915年に移築。
第一屋 式台、鶴の間、瀟湘の間、花鳥の間、台子の間及び縁より成る、一重、入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺
第二屋 琴棋書画の間、浪華の間、住の江の間、繁の間及び縁より成る、一重、矩折入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺
第三屋 一階 天楽の間、次の間、縁、二階 村雨の間、縁及び階段室より成る、二重、上重矩折寄棟造、檜皮葺、下重こけら葺
参考資料
三溪園パンフレット
三溪園公式ウェブサイト
国指定文化財等データベース
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