神奈川県逗子市 名越切通・まんだら堂・大切岸
大崎公園ー披露山公園—浪子不動ー亀岡八幡神社(宮)
Nagoe kiridoshi/ Mandarado/Okirigishi,Zushi city,Kanagawa
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Jan.20,2016 松田浩志 source movie
大崎公園ー披露山公園—浪子不動ー亀岡八幡神社(宮)
Osakikoen-Hiroyamakoen-Namikofudo-Kameokahachimangu,Zushicity,Kanagawa
大崎公園(昭和59年開園2.1ha)
披露山庭園住宅(個性的なモデル住宅の展示会場風住宅地)
披露山公園(昭和33年開園。元高射砲陣地跡)
浪子不動(お堂わきの滝。前がコンクリートのたたきになっていて風情のない情景になっている)
亀岡八幡宮
Nov.30,2014 松田浩志 source movie
まんだら堂
『「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は、文禄三年(1594年)の検地帳です。
しかし、そこには畠の地名として記されているのみで、「まんだら堂」がどんな建物だったのか、いつまで残っていたのかなど、詳しいことは全くわかっていません。
まんだら堂やぐら群は、一つひとつは2m四方程度と小規模で構造も単純なものが多いですが、150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、これだけまとまったやぐらを良い状態で見ることのできる遺跡は鎌倉市内にも少なく、たいへん貴重です。
やぐらの中に並ぶ五輪塔は、後の時代に動かされているものが多いので、中世の姿そのままとは言えませんが、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたものです。
葬られたのは、武士や僧侶が多かったと考えられていますが、経済力を蓄えた商工業関係者なども含まれていたでしょう。』
逗子市ホームページより転載
まんだら堂群
名越切通
『治承4年(1180年)に源頼朝が居を構えた鎌倉は、南方を海に、それ以外の三方を丘陵に囲まれた要害の地でした。
そのため、陸路を鎌倉に入ろうとすると、その多くは細くて急な尾根越えの山道か、危険な波打際の崖下の道であったと思われます(古代の「古東海道」がこの地域を通っていたと考えられますが、具体的なルート等は明らかになっていません)。
13世紀前半、執権北条氏の権勢が確立する頃になると、鎌倉も政治経済の拠点として発展しますが、頻繁となる物資や人々の往来にとって、それまでの交通路は大きな妨げとなりました。
その難渋を除くため、都市の基盤整備の一環として、後に「鎌倉七口」などと呼ばれる切通路が開削されたと考えられます。
名越切通は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つです。
周辺には、切通の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布していて、中世都市の周縁の歴史的景観を良く残しています。昭和41年(1966年)に国史跡に指定されました(昭和56、58、平成20、21年に追加指定)』
逗子市ホームページより転載
石廟
大切岸 source movie
『大切岸は、長さ800m以上にわたって高さ10mにもなる切り立った崖が尾根に沿って連続する遺構で、従来から、鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために、切通の整備と一体のものとして築いた、鎌倉時代前期の防衛遺構だと言われてきました。
しかし、平成14年度に発掘調査したところ、大切岸は、板状の石を切り出す作業(=石切り)の結果、最終的に城壁のような形で掘り残されたもの、つまり石切り場の跡だということが確認されました。
石切りが行われた時期ははっきりわかりませんが、堆積している土砂の上層に、江戸時代、宝永4年(1707年)の富士山噴火による火山灰が含まれていますので、それより古い時代であることは確実です。14-15世紀の鎌倉では、建物基礎や溝の護岸、井戸枠などに切石が盛んに用いられていますので、名越の山中で大規模に石切りが行われたのも、その頃が中心ではないかと考えられます。
ただ、この結果のみをもって、大切岸に防御的な目的は一切なかったと即断することはできません。『吾妻鏡』の記事に見られるように、鎌倉は敵の攻撃を防ぐのに適した地形=要害と認識されていました。
あくまでも推測ですが、このように大々的な石切りを行なっても、鎌倉の街を取り囲む尾根を安易に掘り割ることはせず、あえて城壁のような崖を残したのかも知れません。』
逗子市ホームページより転載
大切岸
法性寺
『法性寺(ほっしょうじ)は神奈川県逗子市久木にある日蓮宗の寺院。山号は猿畠山。
松葉ヶ谷法難の際、日蓮が白猿に導かれ難を逃れた岩窟の地に建立されたと伝えられ、日蓮六老僧の一人である日朗の墓所がある。』
ウイキペデイアより転載
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