熊本県山都町 通潤橋
Tsujunkyo,Yamato town,Kumamoto
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上益城郡山都町長原 通潤橋 重文 近世以前/その他 江戸末期 安政元(1854) 石造単アーチ橋 取入口から排出口に至る水路を含む 19600209
Apr.20,2019 蒲池眞佐子
円形分水工
通潤橋の約6キロ上流部、山都町小笹地区にある。笹原川を流れる川を野尻・小笹地区と、通潤地区(通潤橋方面)とに流れる水量を水田の面積に応じて公平に分配するために造られた。
この工事は昭和31年に現代土木工学による円形分水法として設計された。水の紛争がこの円形分水によって解決された。
約500m上流の取り入れ口から流れてきた水は、中心の円筒1.5メートルから、内径6.3メートルの円に水が溢れ出る。(山都町観光ナビサイトより)
通潤橋から放水される水がきている箇所。
通潤橋
熊本地震の影響により工事中だった。
旧矢部町民族資料館
通潤橋が見渡せる道の駅通潤橋にある資料館
Dec.10, 2017 瀧山幸伸 source movie
Sep.2015 酒井英樹
通潤橋は轟川に架設された石造の水路橋である。江戸時代末期の嘉永2年(1849)に惣庄屋布田保之助が、周囲を谷で囲まれた白糸台地に農業用水を供給することを目的に志し、嘉永5年(1852)に郡代の許可を得て12月に着工、安政元年(1854)7月に完成した。
高さ20m、拱矢比を2.0とした半円アーチの石造単アーチ橋である。アーチ下方は熊本城の石垣を範とした鞘石垣が緩いカーブを描いている。
橋上には石管を連結した導水管を三通り並べて、笹原川上流より取水した用水を逆サイフォンで白糸台地へ送水している。耐水圧に石管を独特の漆喰を用いて連結し、途中に木管を挟むなど工夫を凝らしている。
石造単アーチ橋、幅6.5m、長84.0m、アーチ径間27.3m
輪石一重、壁石鱗状積、石樋を用いた水路橋として最大級の遺例
江戸時代末期[安政元年(1854)]
Apr.30,2015 瀧山幸伸 source movie
通潤橋へ用水を分ける「円形分水」
通潤橋によって開発された棚田
Apr.23,2014 田中康平
熊本県上益城郡山都町長原
国指定重要文化財 重文指定年月日:1960.02.09(昭和35.02.09)
文化財等データベース解説文: 安政元年(1854)に建造された石造単アーチ橋。橋長84.0m、橋幅6.5m、アーチ径間27.3mの規模を持つ。輪石は一重で、壁石は鱗状に積まれている。橋の前後約100mに渡って、石樋が3列土中に埋め込まれる(現在鉄管を1列増設)。凹形曲面を基本とした美しい形状を持つ我が国最大規模の石造水路橋。
笹原川の水を五老ヶ滝川を越えて白糸台地に供給することを目的に作られた。上流側に道の駅がありそこから徒歩で鑑賞できる。五老ヶ滝川上流から見て向かって左から右に用水は流れる。建造を計画・推進したのは惣庄屋の布田保之助だが実際の建造は肥後の石工 橋本勘五郎とその兄 宇市の手による。橋本勘五郎はその後明治政府の依頼により東京で万世橋、浅草橋、蓬莱橋、江戸橋、京橋、を手がけ、一族により皇居二重橋も築造したといわれる。
A camera
周囲の棚田
鵜ノ子滝付近
B camera
Dec.2005 瀧山幸伸 source movie
夕暮れの光景
朝の光景
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