京都府京都市右京区 化野念仏寺
Adashino nenbutsudera,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
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November 29,2014 大野木康夫 source movie
参道
境内
西院の河原付近
帰路
August 24, 2014 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
化野念仏寺
(Adashinonenbutsuji Temple, Ukyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
正式名称は華西山東漸院念仏寺(かせいさんとうぜんいんねんぶつじ)である。
空海(弘法大師)が五智山如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬。のち法然が念仏道場としてから今の寺名に改めた。本堂は1711年(正徳2)寂道上人の再建。境内8,000体の石仏・石塔群は、化野に葬られた人たちの墓で、毎年8月23・24日に灯明をあげ、幽玄な千灯供養を行う。浄土宗。
(京都観光Navi より)
愛宕古道街道灯りの行灯が見られる。でも日暮れまでにはかなりの雨が降りそうである。
化野念仏寺パンフレットと参道
参道の二体の石仏。左は釈迦坐像、右は定印の弥陀、共に鎌倉時代。
境内の順路をたどる。
本尊阿弥陀仏座像 鎌倉時代
西院の河原、室町時代前後の供養石仏や供養石塔がおよそ八千体集められている。
遅い昼食は皇族立ち寄りの店で茶飯定食
参考資料
川勝政太郎「石造美術の旅」
2010.11.26撮影
一昨年の紅葉シーズンの夕暮れ時、化野念仏寺を訪れました。
宗派:浄土宗
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ
所である。
西院の河原
多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬った人々のお墓である。何百年を経て無縁仏と化しあだしのの山野に散乱
埋没していた。
明治中期に地元の人々の協力を得て集め、配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。
仏舎利塔と桜
社務所
季遊の間(きゆうのま)
朱印受付の隣にある間
季節を遊んで(楽しんで)もらう間(空間)のことで、境内にある早木や季節を感じさせるものを飾っている。
境内の桜
八千体を越える石仏や石塔は、周辺に散在していた累々の無縁仏を明治時代に集積したもの。
「あだし(化し)」とは、はかないという意味。
兼好、式子内親王、西行など、文人ゆかりの、哀愁をたたえる地である。
■ 兼好法師 あだし野の露消えゆる時なく鳥部山の烟立ちさらでのみ往果つる習ならば如何に物の哀れもなからん世は定めなきこそいみじけれ
■ 式子内親王 暮るる間も 待つべき世かあだし野の 松葉の露に嵐たつなり
■ 西行法師 誰とても 留るべきかはあだし野の 草の葉毎にすがる白露
■ 二条為道 あだし野や風まつ露をよそにみてきえんものとも身をば思はず
門から鳥居本の街並を見下ろせば、坂ともみじと屋根が美しく調和する。
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