京都府福知山市 福知山城
Fukuchiyama castle,Fukuchiyama city,Kyoto
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June 3, 2023 野崎順次 source movie
京都府福知山市字内記5
福知山城
現在のような縄張りは明智光秀がおこなった。畿内を押さえた織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った。丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした。
現在は、福知山城公園として整備され、天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が1986年(昭和61年)に復元された。福知山市郷土資料館の施設となっている。
(中略)
市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持つ。
東から西に流れる由良川が天然の堀となっており、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築かれ展望のよくきく地である。東、北、西は断崖で要害の地でもあった。国道9号走行中やJR福知山線の列車内からうかがえ、夜間はライトアップされている。また多数の桜が城周辺に植林されている。
(ウィキペディア「福知山城」)
パンフレットと現地説明板
JR福知山線で水田地帯を行く。
福知山城遠景
東側から上る。
市史跡 石垣部分
1873年(明治6年)の廃城令で建物や堀、石垣もかなり失われてしまい、遺構としては天守台と本丸の石垣が残されるのみとなった。石垣は、「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」と呼ばれる自然石をそのまま利用されている方法で積まれている。石材の加工と用い方は「野面積み」、角部の積み方は「算木積み」、勾配としては、基底部は傾斜が緩やかで段々傾斜を増していき、上部はほぼ垂直になる「扇の勾配」と呼ばれている。また宝篋印塔、五輪塔などの石造物が大量に使用されており、「転用石」とも呼ばれている。
(ウィキペディア「福知山城」)
本丸広場
転用石
銅門番所(あかがねもんばんしょ)
復元天守閣
天守閣に入るには東側、復元釣鐘門の方へ回る。
豊磐井(とよいわのい)、井戸の深さは50m(城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ)
朝暉神社と石碑
釣鐘門
天守閣内の福知山市郷土資料館
4階望楼からの眺望
Mar.22,2014 瀧山幸伸
July 2009 撮影:中山辰夫
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