京都府京都市伏見区 伏見
Fushimi,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto
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June 27,2016 大野木康夫
伏見南浜界わい景観整備地区
この地区を含む伏見の旧市街地は,豊臣秀吉の城下町創設に始まり,以降400余年を経過した,我が国有数の歴史都市である。
伏見の景観の特性を形作るものは,まず,歴史の中で形成された都市基盤である。
道路網においては,「四辻の四つ当たり」と呼ばれている中心線が偏心した交差点などが中世の城下町の面影を伝え,また,水路網においては,伏見城の外堀として開削され後に高瀬川と共に交通の動脈となった濠川などと,運河に面して設けられた船着場などが,近世の水運業の都市としての隆盛を示している。
次に,この都市基盤上の,洗練された意匠を持つ小規模な町家と,伏見の伝統的産業の酒造業の振興によって生まれ,材質及び意匠ともに優れた大規模な酒蔵などの建造物である。
これらが好対照を見せて建ち並び,近世から近代にかけて活況を呈した商都のたたずまいを今に伝えている。
特に酒蔵は,大規模な建造物でありながら,妻面が見せる深みのある陰影,しっくい壁,焼き板壁及び瓦屋根などが独自の風情を醸し出し,酒どころとして近代から今日まで生き続けている伏見の人々の気概をうかがわせている。
また,この地区には,多彩な地場産業や店舗,飲食店,業務施設が混住し,にぎわいのある景観を形成しながらも,多くの市民の暮らしの空間である住宅と共存し,用途や様式の異なる建造物が,まとまりのある界わい景観の特性を示している。
(京都市HPより)
伏見旧市街の南部、おおよそ伏見南浜学区の地域の一部が伏見南浜界わい景観整備地区に指定されています。
界わい景観整備地区は、「美観地区等又は建造物修景地区内において、まとまりのある景観の特性を示している市街地の地域で、市街地景観の整備を図る必要があるもの」(京都市市街地景観整備条例)で、現在6地区(伏見南浜、三条通、上賀茂郷、千両ヶ辻、上京北野、西京樫原)が指定されています。
京阪伏見桃山駅から京町通を南へ
京町一丁目から柿木浜町
両替町通から新町通
上油掛町、南浜町(月桂冠酒蔵〜寺田屋付近)
村上町、三栖半町、濠川
魚屋通(下油掛町、中油掛町)
京都府京都市伏見区京町3丁目
京町通(伏見街道)
(kyomachi Street or Fushimi Road, Fushimi-ku, Kyoto City)
撮影日: 2011年5月5日
京都−大阪の中継地として、人や物資で賑わった伏見は、角倉了以の高瀬川運河の開削によりさらに発展。大阪から三十石船に乗り伏見に着いた旅人は、京町通(伏見街道)を通り京都の中心部へ、大和街道を通って奈良へ、また参勤交代の西国大名は、桃山丘陵を越え、山科を経て東海道をめざした。このように伏見は水陸交通の要衝として繁栄した。当時の街の広さは、東西1キロ、南北4.6キロで、南北に細長く、人口2万4千人の大都市だった。
今回の写真は京阪伏見桃山駅付近の京町通で古い家が僅か残っている。
魚三楼と鳥羽伏見戦(1868)の弾痕
魚三楼は、江戸中期讃岐から入洛した初代が開業され、現在八代目が営業中とのことで、代々調理の技が染込んだ歴史をもたれ、立派な部屋や庭を備えた本格的老舗の料亭である。
1868年1月、鳥羽での開戦を察知した、伏見御香宮に陣する「薩摩藩」と伏見奉行所に陣する「会津藩、新選組」等が薩摩藩の先制攻撃で開戦しました。魚三楼は、両者の中間部に所在する為、店の前を両軍の銃弾が飛び交った。残存する弾痕は流れ弾が料亭に飛び込んだものとされている。
その他
幕末刀痕弾痕痕探訪記HP
㈱伏見夢工房HP
月桂冠付近
Gekkeikan
長建寺
Choukenji
黄桜付近
Kizakura
竜馬通り
Ryoma dori
酒蔵の街並
寺田屋
Teradaya
商店街(竜馬通り)
月桂冠付近
Gekkeikan
月桂冠大倉記念館
黄桜酒造付近
Kizakura
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