JAPAN GEOGRAPHIC

京都府京都市東山区 祇園 

Gion, Higashiyamaku,Kyoto city

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 General
 
日本を代表する茶屋町の風情
 Nature
 
 Water
 
白川の流れ
 Flower
 
 
 Culture
 
歌舞伎ほか、歌舞音曲の歴史
 Facility
 
 
 Food
 
茶屋、小料理屋でのもてなし


December 12, 2021 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区元吉町
祇園新橋重要伝統的建造物群保存地区

祇園は祇園社をはじめとする鴨東の社寺や鴨川に接して開け,中世以来,庶民文化や芸能を育ててきたところであった。そして,江戸初期に完成した鴨川の築堤工事は,鴨東への市街地の拡大と遊興の地としての祇園の発展をさらにすすめていった。祇園の当地区は,祇園外六町に続いて,正徳2年(1712年),祇園内六町の茶屋街として,開発されたのがはじまりである。その後,当地区は,江戸末期から明治にかけて芝居,芸能と結びついてますます繁栄し,今日に至っている。
当地区は,主として江戸末期から明治初期にかけての質の高い洗練された、町家が整然として建ち並び,さらに美しい流れの白川や石畳,樹木などと一体となってすぐれた歴史的風致を形成している。
現在,当地区内の建造物は,約75戸で,このうち伝統的建造物群を構成している伝統的建造物は,約70パ-セントである。これらの伝統的建造物は,京風町家が祇園という地で,その用に応じて変化し,本2階建町家茶屋様式という一つの洗練された型を完成させたのである。そのほか,基本となる本2階建町家茶屋様式の変化型として,大正時代に生まれた本2階建町家へい造り様式,本2階建町家数寄屋風様式などが見られる。このような伝統的建造物は,主として同種類ごとに群を構成し,それぞれに祇園の芸能,生活文化にふさわしい洗練された統一感を示している。
(京都市祇園新橋伝統的建造物群保存地区保存計画より)

参考図(上が北)、左側の南北の筋は大和大路通り(繩手通り)の東側歩道まで保存地区が拡大されているらしい。
 


川端通りから東へ、この辺りは保存地区ではない。
             


大和大路通り(繩手通り)を横切ると白川筋で保存地区になる。
                                               


辰巳大明神あたり
                 


新橋通り
                                    


December 5, 2021 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区祇園町南側
西花見小路
(Gion-Nishihanami Street, Higashiyama-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

祇園という地名にひかれてか、先導の旗のうしろに修学旅行の生徒たちの賑やかな一群がゆき、地図を片手の外国人や、旅好きの女性たちが今日もゆきかいます。祇園は京都一、賑やかで華やかな街ですが、動と静が混在するまちでもあります。人通りの賑わいから一歩入ると、古いたたずまいの通りに出会えたりして、これが京観光の魅力でもあるのです。祇園まちの裏通り、西花見小路あたりは、低い軒下に格子戸や出格子、駒寄せ構えなどが並び、格子の手すりによしずを垂らした二階屋が並ぶ昔ながらの街です。
(中略)
格子造りの京の町屋は、家から外は見えますが、外から家の様子はちらともうかがえません。京都人の暮らしの知恵がうかがえるのみです。こんなまちや通りには、手押しの水汲みポンプなど古い道具たちが現役で活躍。時代という彩りをそえたりしています。
(祇園商店街振興組合ウェブサイトより)

団栗橋から団栗通りへ、正法永源院と建仁寺の間を通る。
        


左に南北のひっそりとした通りがある。花見小路から1本西の西花見小路である。
                                          


Nov.24,2020  瀧山幸伸 source movie

花見小路付近

                                         


Mar.23,2020 瀧山幸伸 

宮川町付近
  


March 29,2018 大野木康夫 source movie

祇園白川 早朝の桜風景

人は少ないが、車道に出て撮影する人もいて少し危ない状況。

                

巽橋付近は写真撮影目的の人が多くおられました。

                            

帰路

  

縄手通付近

        

夜の風景

外国人観光客を中心に多くの人で賑わっています。

地元協議会が配置するガードマンが車道には出ないように言っても、なかなか守られない状況でした。

                                           


February 11, 2015 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区

祇園 花見小路

午後5時前、店開きの頃

      

舞妓さんが足早に現われ、お茶屋一力亭へ向かった。

      

御飯処 山ふく

山口瞳著「行きつけの店」に出てくる店。この日は、日本酒熱燗、突出しは漬物盛り合わせ、鰻の肝焼き、肉じゃが、菜の花からし合え、大根煮、玉子ぞうすい。ご馳走様でした。

              


Dec.2012 大野木康夫

南座

Minamiza

2012.12.1撮影 

師走の風物詩、南座の顔見世興行で掲げられる「まねき」を撮影しました。

    


Oct.2011 野崎順次

京都府京都市東山区下河原町 舞妓さん

(Maiko-san, Higashiyamaku, Kyoto City)

撮影日: 2011年10月9日

東大谷でお墓参りをすませ、車で帰る途中、ちょうど「楽焼窯元和楽」の前あたりで渋滞し、息苦しいのでウィンドを開けた途端、向こうからジーパンの見習いを従えた舞妓さんが来た。

     


Apr.2011 野崎順次

京都府京都市東山区祇園町南側

花見小路

(Maiko Watching at Hanamikoji street, Higashiyama-ku, Kyoto)

撮影日: 2011年4月30日

何やら人だかりがしているので行ってみると、置屋さんから出てくる舞妓さんを待っているのだった。

直ぐ南に祇園女子技芸学校、祇園甲部歌舞練場があり、都をどりの最終日の宵だった。

舞妓さんの後には個性的な芸妓さんが続く。

                               

その後、京都駅前で舞妓さんを見た。京菓子のキャンペーンらしい。名前は豆沙久さん。

      

5月になると鴨川をどりである。そのポスターに花見小路で最初に見た舞妓さんと豆沙久さんの二人が映っていた。

   


Feb.2011 瀧山幸伸

崇徳天皇廟

Sutokutenno byo

   

花見小路

Hanamikoji

         

白川から知恩院へ

      


Nov.2010 瀧山幸伸 source movie

地図: 国土地理院

 

祇園とぽんと町周辺

Gion and Pontocho

A camera

                                                    

B camera

                   


Mar.2010 撮影:瀧山幸伸 source movie

A camera

                                                                      

B camera

                                                                                                               


Aug. 2009 撮影:野崎順次

祇園新橋

Gion-Shinbashi,

京都府京都市東山区

重要伝統的建造物群保存地区

説明板

    

白河南通

           

新橋通

                   

巽橋付近

                 


花見小路

May 2009 撮影:野崎順次

                                    


Jan.2009 撮影:瀧山幸伸 source movie

                    

          


July 2007 by 柚原君子

舞妓さんとの遭遇はとても嬉しかったです。腕が震えてぼけ写真となりましたが。

    


祇園新橋

Gion Shinbashi

Mar.2007 撮影:柚原君子

 


Feb.2005 撮影:瀧山幸伸 HD(1280x720)

金沢の東茶屋町と祇園は、日本と日本文化を代表する茶屋町だ。

祇園は、祇園祭りで有名な八坂神社の門前に開けた。

応仁の乱で一面 の焼け野原となり、江戸時代初期には、田畑に水茶屋が少しだけあった。

遊里の街並ができあがるのは、元禄を過ぎた宝永・正徳の頃。

鴨川と白川が合流する祇園社領の低湿地は、鴨川に新堤が築かれたため、新地(新造成地)として芝居町、茶屋町となった。

寛文6年(1673)弁財天町ほか外六町、正徳2年(1712)元吉町、末吉町など内六町が開かれた。

文化・文政時代になると三百軒ほどの茶屋ができ、今日の繁昌につながっている。

阿国の「かぶきをどり」を起源とする歌舞伎興行、浮世草子、浄瑠璃など歌舞音曲の舞台もこの地である。

白川の流れに沿った茶屋町。

川沿いの通りは、川の水音、柳の緑、竹垣とが街並構成要素となっており、広々とした景観を形成している。

 

新橋通りは川に平行して走る。軒線が揃い、1階の格子、二階のよしずが均一に並び、美しいシーケンスが見られる。

高杉晋作が芸姑小梨花と深い仲になり、自作の都都逸を三味線を弾きながら歌ったのはこのあたりである。

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、整備が進んだ。

  

一階軒、下屋の屋根には厄除けの土人形が鎮座している。

 

通りから入る狭い横丁も風情がある。

 

白川にかかる巽橋付近

舞妓体験ツアーの撮影スポット。和風の町には和服が良く似合う。着物を着れば皆美人。

  


花見小路付近の夕景

Oct..2004 撮影:瀧山幸伸 HD(1280x720)

建仁寺

建仁2年(1202)臨済宗開祖栄西により創建された。方丈は国重文。

      

花見小路

祇園新橋の街並を見習い、和風の街並整備が進んでいる。

    

 

花見小路から入る横丁の街並

  

一力

祇園を代表するお茶屋。花街らしいべんがら色の外装。

大石内蔵助が入り浸ったことでも有名。

        

路地の店先 

灯火、活花などのしつらえに洗練された文化がうかがえる

  


花見小路と祇園新橋の朝景

Sep.2004 撮影:瀧山幸伸 HD(1280x720)

花見小路

四条通りから南の花見小路は、格子と犬矢来が美しいお茶屋や料理屋が並ぶ風情ある街並となっている。

早朝は人通りが少なく、通過交通もほとんど無い。

夕方のような風情は無いが、街並を探勝するには都合が良い。

 

この窓も意匠に凝っている

     

一力付近

夜の帳が明け、人生に思い出が加わる。

   

朝の裏通り

   

花町にふさわしい、意匠を凝らした窓

  

     

  

南座

現存する最古の歌舞伎座。

歌舞伎の発祥の地と言われ、年末に行われる顔見世興行は京の年中行事として歌舞伎ファンに親しまれている。

  

鴨川

  

出雲の阿国の像

慶長8年(1603)阿国がこの四条川原で伊達男に扮し「かぶきをどり」を演じた。

  

北座跡

延宝4年(1676)の祇園社並旅所之図によれば、六軒の芝居小屋が描かれている。

19世紀末には大火で二軒に減少し、北座はその後明治27年(1894)に道路拡幅のため消滅した。

  

朝の祇園新橋付近

         

白川は、京都疎水から流れて来る。

     

巽橋付近

格子窓と犬矢来が美しい。

柳が町屋に良く似合う。

  

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