京都府京都市北区 鹿苑寺金閣
Rokuonji Kinkaku,Kitaku,Kyoto city
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幻想的な建築 | |
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July 16 and 23, 2023 野崎順次 source movie
猛暑の京都である。金閣寺庭園の奇岩名石を鑑賞するのが主目的だったが、舎利殿金閣の真ん前でアオサギが鮒を捕獲する瞬間に立ち会ったり(写真・動画あり)、日本の蒸し暑さに立ち向かう外国人観光客の様子を追ってみた。
バス停から参道
舟形一文字蹲踞
鐘楼、庫裡、参拝門
南池跡
撮影スポット
特別名勝・特別史跡 池泉回遊式 金閣寺庭園 鏡湖池(きょうこち)
鏡湖池案内図
畠山石
赤松石、出島の突端の近くの水中に立つ
葦原島の三尊石組と細川石(斜めに立つ)
九山八海石(くせんはっかいせき)、将軍・足利義満が中国から運ばせた名石
夜泊石(よどまりいし)
金閣の真ん前の夜泊石の上でアオサギが鮒を食らう。
そして、池から離れ, 巌下水、銀河泉
龍門瀑
鏡湖池を離れ苑路を進むと、鹿苑寺庭園の2つめの見所である見事な「鯉魚石」の龍門瀑(りゅうもんばく)にたどり着く。鯉魚石とは鯉が滝を登る様子を表現した石である。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ぶ。全国数ある鯉魚石のなかで、鹿苑寺の鯉魚石は最も写実的であり美しい。
(「庭園ガイドby 繩手真人」ウェブサイト)
観光順路を進む。
崖に人の顔が見える。
そして、帰途、石段を下りて、参道からバス停へ
June 7,2020 大野木康夫
source movie
9時の拝観時間開始に合わせて車で鹿苑寺へ行きました。
8時50分に駐車場に入ると、私で4台目でした。
拝観入口へ
9時まで付近を撮影
9時に開門したので拝観受付に向かいました。
この時点で参拝者は20名弱でした。
金閣
快晴でしたが、風が強かったので鏡湖池の映り込みはほぼ見られませんでした。
近年の混雑ぶりとは違い、人が少なかったのでゆっくりと撮影できました。
鏡湖池
訪れた人々
東側から金閣を撮影
陸舟の松
北側から見た金閣など
帰路
9時半過ぎに駐車場に戻ったら、30台程度が停まっていました。
普段であれば、第一駐車場は満車になっていると思われますが、新型コロナウイルスの影響でかなり少なくなっているようです。
June 15, 2019 野崎順次 source movie
京都府京都市北区
鹿苑寺(金閣寺)
金閣の前の広大な池は鏡湖池(きょうこち)と呼ばれ、金閣前の葦原島、西部の出亀島、入亀島、淡路島の4島をはじめ、小さな岩島の鶴島亀島、畠山石など巧みに配置され、実に味わい深い池泉回遊式庭園である。よく見ると、小さな石燈篭が立つのが葦原島であり、大きな石燈篭の立つのは、西からの出島である。作庭時期は重森三玲(昭和49年時点)は鎌倉時代といい、本寺のパンフレットによれば、室町時代である。いずれにしても、今回は国の特別史跡・特別名勝に指定された庭園をじっくり鑑賞しようと思う。
パンフレット
黒門、総門、唐門と参道を行く。ほとんどが外国人観光客である。
池畔の観光客
鹿苑寺(金閣寺)庭園 鎌倉時代 池泉舟遊・回遊式
いずれにしても本庭を一覧すると、本庭は五千四百坪の面積をもつ大池庭であり、応永期ではもはやこのような大池庭はできなかったばかりか、池庭の地割を一覧すると、金閣前の葦原島(実は蓬莱島)の配置と、この島に対して西部からの大きな出島の直線的平行線とが有機的であって、鎌倉期の様式を見せているし、金閣の西部にある出亀島(方丈島)、入亀島(壺梁島)、淡路島(瀛州島)の三島が斜線的な有機線を見せたり、その他の鶴島や亀島が、いずれも有機的であることは、西園寺家時代の作庭であることを語っている。
後の時代に足利義政などもたびたびこの池庭を遊覧に来たことを、「蔭涼軒日録」に記しているが、ともかく鎌倉期を代表する名園である。
本庭を一覧すると、蓬莱島その他の石組が、三尊式の石組となり、前に台座石を用いてあって、その手法がいかにも鎌倉期であることを語り、豪健そのものであり、技法的にも傑出している。池中の多くの鶴亀島の手法や、または主として西部の池畔に見られる護岸石組のごときも傑出していて、西園寺時代のままの豪快な手法をよく見せている。
(中略)
ともかく、全庭が天下第一の名園であることはいうまでもない。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」鹿苑寺(金閣寺)庭園より)
御守売場、銀河泉
竜門瀑
なおまた竜門瀑の手法を一覧すると、この石組手法は、水落石を板状の石として、前方に傾斜させており、布落式に水が落ち、下部の鯉魚石はまことに力強い表現で、この三級石を飛び上がらんとしている様をよく表現しているし、向かって左側の添石は実に美しく、右側の添石は、寛永年中に鳳林和尚が人夫三十人で改造したことがよく解る。この滝だけはおそらく文永(1264−1274)時代に改作をされたものであろう。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」鹿苑寺(金閣寺)庭園より)
石仏、安民沢、白蛇の塚
夕佳亭あたり
帰りの参道、英会話の実戦練習なのか外人に話しかける日本人学生が目立った。
男女便所の英語表示、単数語の「woman」「man」はそっけないし不自然である。「ladies」「gentlemen」とすべき。
京都府京都市北区 鹿苑寺金閣
Rokuonji Kinkaku,Kitaku,Kyoto city,kyoto pref.
京都府京都市北区金閣寺町1
世界遺産
庭園:特別史跡・特別名勝 特別指定年月日:1956.07.19(昭和31.07.19)
相国寺の塔頭寺院の一つ。
1398年、足利義満により建てられた。
1950年 放火により全焼,1955年に明治時代の解体修理の記録に基づき再建
庭園について国指定文化財等データベースの解説文:本園ハ元足利義滿カ應永四年西園寺家ノ山莊ヲ得テ更ニ其ノ規模ヲ大ニセルモノニシテ同十五年義滿ハ後小松天皇ノ聖駕ヲ迎ヘテ宴ヲ開クコト數日世ニ北山殿行幸ト言ヒ今猶ホ其ノ盛ヲス。義滿薨後遺命ニヨリテ寺トナシ鹿苑寺ト號スルト共ニ其ノ庭園トナレリ、庭中有名ナル金閣アリ近ク衣笠山ヲ望ミ築山泉水幽雅清邃ヲ兼ネ備ヘ豪宕ノ景趣ヲ致ス室町時代ノ全盛期ヲ代表スル名園タリ。
アプローチ部分の紅葉は目立つが、金閣の庭園全体では紅葉は多くはない。金閣を映す鏡湖池周りには所々に彩を与える紅葉があり、秋の景観を作っている。
京都府京都市左京区
金閣寺の外人観光客
(Overseas Tourists in Kinkakuji Temple, Kita-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
今年は京都を訪れる外国人観光客が急増しているそうである。真夏の京都に外人観察に出かけた。金閣寺に入場する観光客の3分の2から4分の3を占める。外国からの善男善女は京都特有の猛暑にめげず元気である。
January 19,2014 大野木康夫 source movie
雪の日、朝からニュースで雪景色が放送された影響か、金閣寺は大変混雑していました。
西大路通の市バスは満員、駐車場は満車でわら天神前まで入庫待ちの車列が続いていました。
これを避けるには、北大路駅から市バスに乗るしかないと思います。
参道
鏡湖池の周囲は、金閣(舎利殿)を撮影しようとする人が4重、5重に重なり、大混雑でした。
少しの積雪、青空は申し分なかったのですが、風が強く、水面にさざ波が立ってしまって舎利殿が映らなかったのが残念でした。
池を離れると、混雑が収まりました。
帰路
Feb.2011 瀧山幸伸
A camera
B camera
July 2010 撮影/文:野崎順次
京都府京都市北区金閣寺町1
世界文化遺産
北山 鹿苑寺 (金閣寺)
(Kinkakuji Temple, Kitaku, Kyoto)
お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれるが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相國寺派の禅寺である。
この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘北山第があったが、足利三代将軍義満が大変気に入り、応永四年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造った。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、中国(明国)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献したところで、この時代の文化を特に北山文化と言う。
義満の死後、遺言どおり夢窓国師を開山(初代の住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名づけられた。
黒門、総門を通り、鐘楼、庫裏、唐門を見て、参拝門をくぐって行く。
通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で正式には舎利殿と称する。初層は寝殿造風で「法水院」と称し、二層は書院造風(武家造)で「潮音洞」(ちょうおんどう)と称し、三層は禅宗様の仏殿風で「究竟頂」と称し、仏舎利を安置する。屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねたこけら葺で、頂上には金銅製の鳳凰が飾られている。
鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。国宝金閣(舎利殿)は全焼、国宝足利義満座像、運慶作の観世音菩薩像、春日仏師作の夢想国師像等10体の木像等も焼失した。現在の金閣は、1952年(昭和27年)から3年を掛けて復原再建されたものだが、その後も、1986年(昭和61年)2月から1987年(昭和62年)10月まで昭和大修復」が行われ、漆の塗り替えや金箔の張り替え、天井画の復元等の修復工事が行われた。
いろいろな所から金閣を見ていく。
金閣を水面に映す鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園で、国の特別史跡・特別名勝に指定されている。鏡湖池には葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。観光客は暑さにめげない!
方丈
本堂に相当。単層入母屋造で桟瓦葺。1678年(延宝6年)、後水尾天皇の寄進により再興された。2005年(平成17年)から解体修理が行われ、2007年(平成19年)に修復工事を終えた。
陸舟(りくしゅう)の松
方丈北側にある足利義満手植えと伝えられる松。京都三松の一つ。
銀河泉(足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉)、龍門の瀧、白蛇塚など見ながら進む。
夕佳亭(せっかてい)
金森宗和好みと伝えられる茶室。寄棟造茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造こけら葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっている。明治初年に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたもの。1997年(平成9年)に解体修理を行っている。なお三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられており、殊によく知られている。
腰掛石、不動堂(天正年間に宇喜多秀家が再建したとされ、金閣寺境内に現存する最も古い建物)など。
参考資料
相国寺・金閣寺・銀閣寺・承天閣美術館の公式ホームページ
ウィキペディア「鹿苑寺」
July 2007 柚原君子
金閣寺とてもきれいでした。あやめもきれいでした。
Feb.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)
夕佳亭
金閣寺方丈
Kinkakuji Houjo
Feb.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)
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