京都府京都市東山区 清水寺
Kiyomizudera,Higashiyamaku,Kyoto city
Oct.2012 中山辰夫
清水寺成就院
宗派:北法相宗大本山清水寺
本尊:先手観音
開山:願阿上人
清水寺の境内である。
仁王門の方には行かず、左側の善行院の前を通り、坂道をあがる。
地蔵院善光堂と「首ふり地蔵」 修学旅行生に人気がある。
ゆるやかな坂道を登る。左側には社殿が建つ。右側には石仏が群をなす箇所がある。
成就院
室町時代に創建された清水寺の塔頭(子院)で、幕末には尊皇攘夷の志を持った多くの志士を助けた月照・信海上人住房でもあった。
現代では戦後、清水寺を復興に導いた大西良慶大和上が住まいしていた。
書院から見える池泉庭園は古来「月の庭」と呼ばれ、名勝に指定されている。
院内はすべて撮影禁止である。
書院前庭「月の庭」
国指定名勝
この庭園は、相阿弥原作、小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝える。いずれも当代一流の文化人である。
江戸初期様式の模範的な借景式・池泉回遊式庭園で、誰(た)が袖手水鉢・烏帽子石、蜻蛉灯籠など名高く、五葉松・侘助椿や
丸形・角型の刈込みが一段と風情をそえる。
月が掬えそうな大きな池を中心に裏山を借景に見立て、変化のある刈込と珍しい灯籠や手水鉢等の石造物が眺める者を退屈させない。
庭園…すべて引用である。
「誰ケ袖手水鉢」は、古今集の和歌からヒントを得た命名の妙とその形の珍しさガポイント
月照・信海上人
薩摩の錦江湾で西郷隆盛と入水自殺を図った月照上人と弟の信海上人。近衛忠照を通じて島津斉彬とも親交があり、また尊王の志厚く
志士たちの活動を助けたとされる。しかし安政の大獄で幕府に睨まれることになり、薩摩に移送され、悲運の最期を遂げた。
信海上人の攘夷祈願の県議で幕府に捕えられ獄死した。
大講堂
昭和59年(1984)創建
参考資料≪清水寺、ほか≫
清水寺西門(さいもん)
国重要文化財
清水寺境内、仁王門と同じ西向きに建つ。
江戸時代初期、寛永8年(1631)再建の、優雅な三間一戸の八脚門。単層、切妻造り、桧皮葺。
正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風(のきからはふ)を架ける大層珍しい形式になる。
持国天・増長天を安置する。
鎌倉末期 木造 向かって右側が持国天立像(像高220cm)、左側が増長天立像(像高215cm)。
写実性と量感・力動感に富む力強い二天像で、奈良仏師・慶派流の鎌倉様式を伝え、鎌倉末期から南北朝時代にかけての作品と考えられる。
共に桧材の寄木造り、彩色像である。
平成5年(1993)彩色復原である。
繊細な柱巻下文様や熨斗文様が特徴的な建造物。格天井の宝相華文様も華やか。
正面に向拝、蟇股、木階に高欄が設けられ、一見すると拝殿風ながら、背面には軒唐破風が架かっている珍しい形式。華麗な桃山様式の美を見せる。
拝殿風の華美なこの門からの京都市街。
西山に入る素晴らしい夕日をここから拝み、西方極楽浄土を観想するためにあるのか。
参考資料≪清水寺HP≫
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