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京都府京都市東山区 清水成就院

(Kiyomizudera Joujuin Temple, Higashiyama-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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国名勝庭園
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November 30, 2019 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区清水1-294

成就院は、清水寺の本坊。

応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺を、勧進活動によって再興した願阿上人(がんあしょうにん)の住房として造られたのがその始まり。

現在の建物は、1639年(寛永16年)に後水尾天皇の中宮であった東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)の寄進によって再建された。

幕末には月照(忍向)・信海両上人(げっしょう・しんかいりょうしょうにん)のもとに近衛忠熈、西郷隆盛をはじめとする勤皇の志士たちが集い、密談を交わした場所。

書院背後の霊鷲山(りょうじゅせん)を借景とする池泉回遊式庭園は、「月の庭」とも呼ばれ国の名勝に指定されている。

(yoritomo-japan「中世歴史めぐり」ウェブサイトより)

アプローチ、清水寺仁王門の左手奥に行く。

       

成就院参道沿いの千体石仏群

ここに立ち並ぶ様々な石仏の一部は、かつて京都の各町内にお祀りされていたお地蔵さまです。明治の廃仏毀釈の際に、捨てるにしのびないと市民の手によって清水寺へと運び込まれたものです。現在も有志の方々よって前垂れを掛け替えていただいています。

(清水寺公式ウェブサイトより)

              

成就院前の池

   

成就院の建物

         

庭園のパンフレットなど。残念ながら玄関から内部および庭園は撮影禁止。

  

清水成就院庭園 江戸初期 池泉回遊兼鑑賞式

本庭は約百八十坪の面積をもっているが、書院の前庭(北庭)となっている。そして全庭の地割を一覧すると、書院の前が東西に広く、北部は狭くなっていて、三角状になっている。このような地割は本来室町末期の典型的な地割で、京都の退蔵院庭園、宮島の西方院庭園、増田の医光寺庭園その他に見られるから、赤松氏時代の地割が残っていたのを利用したと考えられる。

そして池中には鶴亀二島があり、大島が鶴島で、それに土橋と石橋とを架け、亀島には橋がない。この鶴亀二島は室町にも、江戸初期にも多くあるが、鶴島の護岸を兼ねた羽石の手法は、室町的なものをもっているし、亀島の亀頭石や、中心石も室町調であるるが、それかといって、全庭の護岸その他の石組には江戸初期のものがほとんどである。

さらに東部は山畔を利用し、北東部に滝を落としてあるが、滝付近の石組は、江戸初期の手法となっている。だから全体的には江戸初期の庭とみてよい。前方の刈込籬は二段式となっていて、遠州系の好みであるが、それかといって遠州の作庭ではない。

東の山畔下に手毬燈籠というのがある。江戸中期頃の好みのもので、その頃流行したものである。縁先の手水鉢は、瀬戸内海の犬島の珍石を用い、誰ヶ袖形といっていて、小袖の形となり、水穴もそれに因んで袖形に開けられている。名物の一つである。

(中略)

本院の庭を別に三成就院雪月花の中の月の庭といっている。北野の成就院(花の庭)、寺町(今は磐座)の妙満寺成就院(雪の庭)とともに挙げられている。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」清水成就院庭園より)


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