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京都府木津川市 森八幡宮

Morihachimangu,Kizugawa city,Kyoto

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September 18, 2023 野崎順次  source movie

京都府木津川市加茂町森ダラニ田
森八幡宮


9月2日訪問時に撮り損ねた石橋を追加する。

石段前の三枚の切石から成る石橋は鎌倉時代前期寛元三年(1245)のものという。その石橋の供養塔(江戸時代)が石段の向かって右にある。
   


September 2, 2023 野崎順次  source movie

京都府木津川市加茂町森ダラニ田

社伝によれば、奈良時代の天平12年(740年)、聖武天皇が恭仁京へ遷幸の時、この地に勧請されたと伝えられる。
御祭神は、気長足姫命・誉田別命。
平安時代前期の仁寿年間(851年-854年)、文徳天皇が当社に特別の勅宣があり、附属の刀彌として50人あまりがいたという。隆盛した当時、この地は山田荘と呼ばれ、鎌倉時代前期の寛元3年(1245年)の銘が残り、その年の建造と考えられる石橋が現存する。
南北朝時代の正中3年(1345年)の作とされる不動明王・毘沙門天石仏も伝わる。神仏習合の名残を残すとされる線形石仏。
現在の本殿は、江戸時代初期から前期にかけての建築とされ、桃山様式が色濃く残るという。木組もしっかりとして損傷少なく、蟇股や障壁の透彫りの文様を見ても、貴重な建築とされる。
(神社と古事記ウェブサイト)

森の集落に向かう三叉路に巨石を使った庭園跡がある。

   

涼み岩、森八幡の神様が夕涼みをするという巨石、今はコンクリートの擁壁にもたれかかるように。

   

さらに奥へ

        

森八幡宮入口の説明板

    

石段を登って、鳥居から拝殿、舟形手水鉢など
      


森八幡宮線刻石仏 鎌倉時代後期 高124cm 砂岩
山間の古社で、境内の二つの大石の正面に頭部を丸くアーチ形にしたほりこみを作り、不動明王と毘沙門天の立像を抑揚のある達者な線で線彫する。毘沙門は体をやや左に曲げ、顔も左に向け、右手に戟を持ち、左手は宝塔を捧げ、光背は火焔付円光とする。左の肩の所に「武内之本地」と刻銘がある。不動は直立で毘沙門とは反対にやや右方を向く。右手剣、左手に索をとり、全身から火焔の立つ姿は雄壮感がある。左肩の所に「松童之本地」と刻み、その下に「于時正中三年(1326)丙寅三月十八日」右下の所に「勧十方檀那奉造立之願主仏師佮阿」と彫る。武内・松童は八幡神の摂社神。なお本殿の左脇に石橋を作った時の寛元三年(1245)銘の碑がある。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年9月30日)
                 


拝殿から本殿へ
          

本殿背後の磐座
       


恵美須神社
  


お正月の森八幡宮では、本殿の左側、本殿の後ろに小高くそびえる岩山の下に、新年のお供え物が捧げられます。社務所に詰めておられた地元の方に聞くと、「ナントカいう神様」をお祀りしているそうで、よくわからないけれどもともかく岩山の前にお供えをすることになっているそうです。これは、いくつも積み重なった大岩を、神の依り代、磐座と見た、八幡神を勧請する以前の、古い信仰を今に伝えるならわしなのではないかと思います。
(弥勒の道プロジェクト)
     

石橋を作った時の寛元三年(1245)銘の碑、当尾地区では最古の銘
     


本殿と磐座のほぼ全貌
    


近くの家の庭にいた仔牛?
   


八幡宮の森を振り返る。
  

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