京都府木津川市 千日墓地
Sennichi cemetery,Kizugawa city,Kyoto
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木津川市山城町神童寺不晴谷177 天神社十三重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 建治3(1277) 石造十三重塔 建治三丁丑十月三日の刻銘がある 19570219
July 16, 2023 野崎順次 source movie
京都府木津川市加茂町辻三田
千日墓地
古い墓地の多い当尾(とおの)地域でも、もっとも古く、また数々の石造文化財を今に伝えている。中でも十三重石塔、石の鳥居、そのそばにある基壇も屋根も完全に整っている双仏石(阿弥陀仏と地蔵菩薩)、礼堂前の十三仏石碑、西の竹ヤブにある地蔵尊などは、当尾の石仏中で屈指のものといえる。しかし、墓地の中はみだりに歩かないこと。また拓本などをとらぬこと。みんなで、この古くから続いている墓地を美しく護ろう。前の道を急坂をくだり□ると、□楽橋無□仏□経て、辻地区へ□る。
(現地説明板、最後の道案内のいくつかの文字が削り取られている。)
石鳥居 (鎌倉時代:大田古朴氏説)
国重文 十三重塔 鎌倉時代後期 高さ約390cm 花崗岩
墓地には室町ころの石塔が沢山あって中央の石鳥居の前に、鎌倉後期の見事な塔が二重基壇の上に立っている。初重軸部の四方を舟形にほりしずめ、蓮座上に坐る仏坐像を半肉彫する。その像容は鎌倉時代の風格を備えている。屋根裏に一重の垂木型を作り出し、厚味ある軒は両端で力強く反る。基礎の一側中央に22cm角の奉籠孔をうがち、内は周りを残して更に18cm角にほりこみ、内孔の下辺中央に径6cm程の貫円孔を作っているが、石蓋は失われている。基礎の刻銘は奉籠孔の向って右側面にある。磨滅甚だしく、紀年だけが読める。「永仁六年(1298)戊戌八月十□日」水烟つき相輪の宝珠を失うだけの実に完好な石塔である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年9月30日)
阿弥陀・地蔵 双仏石 南北朝時代 花崗岩 高さ 165cm 像高 77cm
花崗岩の表面を彫りくぼめ、内に地蔵と阿弥陀の立像を厚肉彫りする。この二尊により、現世の安穏と来世の極楽往生を願った尾最大の双仏石で、阿弥陀・地蔵を並立し、屋根石、宝珠も完存する。当初は前面に石扉があったと推定されている。
屋根上に大きな宝珠を置く。軒の薄い屋根は横に長く両端で反る、川勝政太郎博士は、この屋根の形式で室町時代と判定している。
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)
善光寺型 阿弥陀三尊石仏 室町時代 高さ 70cm
善光寺の本尊を模したもので、光背を同じくし、中尊 阿弥陀如来と脇侍の観音・勢至の各菩薩を刻む。
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)
地蔵石仏 右手錫杖、左手宝珠の通有型
阿弥陀石仏 (西側六地蔵) 天正八年(1580)
彫りが鮮明で、「天正八庚辰(1580)十月十五日」の銘。
地蔵石仏(受け取り地蔵) 室町時代後期 天文十七年(1548) 高さ130cm 像高 90cm
その他石造物
所在地 京都府木津川市加茂町大字辻小字三田第25-1
2011.8.20撮影
千日墓地は石仏群がある当尾の中でも特に古い墓地です。
アクセス道路が狭いので、バスで当尾小学校まで行き、そこから徒歩で行くことにしました。
当尾小学校の南側から、西に向かう狭い道路に入り、三差路を小川沿いに南に向かうと、10分くらいで千日墓地です。
途中にも石仏が点在しています。
入口の六体地蔵を見ながら墓地に入ると、石鳥居の脇に十三重塔が立っています。
十三重塔(重要文化財)
永仁6(1298)年の建築
石造十三重塔
永仁六年戊戌八月十□日の刻銘がある
墓地内の他の石仏など
現役の墓地なので、あまりうろつかず、ポイントだけを回って撮影しました。
十三重塔からそのまま奥に行き、墓地の周囲を回ると藪の中の地蔵尊まで行けますので、帰りも同じルートをたどり、墓地の中央にはできるだけ入らないようにしました。
帰りは、浄瑠璃寺まで歩きました。
ブヨが多くて困りましたが、なんとか車道に出ることができました。
愛宕燈籠
やぶの中三尊
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