京都府木津川市 高倉神社
(Takakurajinja, Kizukawa City, Kyoto)
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Oct.6, 2016 中山辰夫
京都府木津川市宇甘白町綺田神ノ木48
位置図
山城町の北端、井手町との境をなす天井川である渋川のすぐ南に森がある。
旧蹟の北西部に当たる高みに高倉神社があって、平家打倒の先鞭をつけた高倉宮以仁王が祀られている。
この神社はもと春日神社と呼ばれてきたが、後に高倉宮以仁王を祭神に加えたことから、高倉神社と改称した。
割拝殿である
高倉神社は、平安時代末期(12世紀)の後白河法皇の第二皇子以仁王(もちひとおう)を祀り、隣接して以仁王の御墓がある。
『平家物語』には以仁王は、1180(治承4)年に平清盛とその一族の追討を命じる令旨を諸国の源氏勢力にあてて出した。この計画は時期尚早で、準備が整わず露見したことで平家に追われた王は、南都の興福寺を頼って都を落ちる途中、この地つまり「光明山寺の鳥居の前」で流れ矢に当たって落命されたとある。
挙兵は失敗に終わったが、令旨は源頼朝が旗上げ(1180年8月)するきっかっけとなり、歴史の転回に大きな役割を果たした。
後に王の御霊を祀ったのが、この神社の起こりである。
石碑 左手—「以仁王御墓」 右手「治承役高倉宮以仁王舊蹟」
東西両側は生垣で厳かに囲われ、石の鳥居の向こうには小さな塚が見られる。
付近には、王落命の祈りに仏事を営んだとされる阿弥陀寺や、都を落ちる王に従って宇治橋の合戦で活躍した筒井浄妙の墓と伝える塚(浄妙塚)がある。
なお、現在、以仁王の御墓と浄妙塚は宮内庁が管理している。
高倉山阿弥陀寺
高倉神社西に建つ。以仁王の仏事を営むたまに開創されたといわれる。鎌倉時代、1192年に山号を高倉山と改めたという。
境内に、鎌倉時代の厚肉彫の石造阿弥陀如来坐像が安置されている。
奈良街道筋には非業の死を悼む以仁王にまつわる伝説や遺跡があちこちに点在している。
近くには以仁王に随った筒井浄明の墓もある。
玉川桜堤 多摩川も天井川である。
京都府綴喜郡井手町井出町玉川
日本六玉川の一つに数えられる玉川は、「平成の名水百選」にも選ばれた。
堤防の両岸には約500本の桜が植えられている。玉川沿いでは、桜の開花にあわせ「井手町桜まつり」が行われる。桜のあとは、ヤマブキが咲き誇る。
史跡 平川廃寺跡 国史跡
京都府城陽市平川古高
奈良時代に創建され、平安時代に廃絶した寺院。西に塔、東に金堂を配する法起寺式伽藍配置をしていた。遺蹟の発見は1943(昭和18)年である
寺域は、東西約175m、南北約115mと推定される。塔と金堂部分が史跡公園である。
塔跡の基壇は一辺が17.2mで、法隆寺五重塔の1.5倍もある屈指の大きさである。七重塔とみられ、塔の高さは50mに及ぶと推定されている。
塔跡、金堂跡の周辺からは、粘土などで形作られた塑像片(そぞうへん)が出土しており、市指定文化財となっている。
現在は、塔跡と金堂跡の範囲が史跡指定地として保存されている。
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