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京都府木津川市 湧出宮(和伎座天乃夫岐売神社)

Wakidenomiya(Wakiniimasuamanofukihimejinja), Kizukawa City, Kyoto

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October 28, 2023 野崎順次  source movie

京都府木津川市山城町平尾里屋敷69-1
和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)


和伎神社とも涌出宮(わきでのみや)とも呼ばれる和伎座天乃夫岐売神社は、約1260年前の天平神護2年(766)、現在の三重県にあたる五十鈴川の船ケ原から天乃夫岐売命を勧請したのが、その起こりと言われている。祭神は古来より雨を降らせる神としてあがめられ、清和天皇や宇多天皇も雨乞いの使者を遣わしたという。弥生時代の集落の跡に建てられており、境内からは当時使われていた石包丁や土器が数多く出土した。
中世以来続くいごもり祭等の宮座行事は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
(京都府観光ガイドサイト)

現地説明板など

    

石鳥居から参道を進むと赤い木鳥居で直角に左に曲がる。

       

町登文 四脚門 室町期 

         

社務所と前拝所

   

府登文 神社本殿 江戸時代中期 元禄五年 1692年 三間社流造
(拝殿は新しいようだが、共に府登文指定らしい)

           

重要美術品 石燈籠(本殿前東側) 南北朝時代 花崗岩
宝珠と請花一石で作られている。火袋、火口四面、上区は二区で横連子、下区は二区で斜十字を刻む。笠の軒は薄く、水平にのび、両端で緩く反らせ、軒裏に一段の垂木型をつくる。中台は、上端に二段の請座、側面は二区に分け格狭間をつくる。下端は覆輪付単弁請花を刻出する。竿(さお)、角柱で、刻銘はない。基礎上端は複弁反花座、側面は土に埋もれて不明。
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)

     

石燈籠(西側) 室町時代
火袋、火口四面、上区は二区横連子、下区は二区で各々格狭間をつくる。中台は、上端は二段の請座、側面は二区格狭間で、下端は覆輪付単弁請花。後部の一部を破損する。軒は薄く、水平にのび、両端で緩く反らせ、軒裏に一段の垂木型をつくる。基礎上端は複弁反花座、側面は土に埋もれて不明。
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)

        

末社と湧出森、境内の鎮守の森は府文化財環境保全地区になっている。

      

 


January, 2023 大野木康夫

所在地 京都府木津川市山城町平尾里屋敷54

和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあまのふきひめじんじゃ)は伝承で一夜にして湧き出た森の中に鎮座することから通称を湧出宮といい、宮座行事が重要無形民俗文化財に指定されています。

表門(木津川市指定文化財)

 

拝殿(木津川市指定文化財)

  

手水舎

 

社務所

 

幣殿

 

本殿(京都府登録有形文化財)
元禄5(1692)年の建築
三間社流造、銅板葺

                 

石燈籠二基(重要美術品、木津川市指定文化財)
南北朝期のもの

右(東)側

           

左(西)側

     


Oct.6,2016 中山辰夫

木津川市山城町平尾里屋敷69-1

田園風景も美しく情緒あふれる南山城を歩く。

南山城は、今昔物語にある蟹の恩返しで有名な「蟹満寺」、平家物語で有名な「以仁王」の御墓、奈良時代に権勢を誇った「橘諸兄公」旧跡、などが有る。

歩くコースは山背古道(やましろ)を含む。

JR奈良線棚倉駅からスタートした。

   

旧村名の「棚倉」は、織物を収蔵する倉の中に棚が何段も設えてあった処から棚倉と呼ばれるようになった。

歩くコースは山背古道(やましろ)を含む。山背古道は京都府南部の城陽市・井手町・木津川市の3つの市町にまたがり、京都と奈良を結ぶ全長約25kmの散策道。

南山城の山ぎわをゆるやかにうねるように続くこの小径には、JR奈良線と木津川がほぼ並行し、周辺には遺跡や文化財をはじめ豊かな自然、懐かしい風景が息づいている。

マンホールデザイン

山城町のマンホール。 中央には当時の山城町の市章を描いており、町の木モミジと町の花キク、特産品である筍とお茶をデザイン。

 

涌出宮(わきでのみや)

木津川市山城町平尾里屋敷69-1

涌出宮は、JR棚倉駅前東側に鎮座し、森に包まれた神秘的な雰囲気の中にある。訪れる人もなく境内は静かである。創建後1250年経つ。

古社である。創建:766(天平神護2)年 祭神:天乃夫岐売神 田凝姫命 市杵島姫命 端津姫命

伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したのがはじまりと伝わる。

天乃夫岐売命とは天照大神の御魂であるとされる。後に宗像三女神を伊勢より勧請、併祀した。

大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。

山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として雨をもたらす神として崇拝されてきた。

この一帯は弥生時代の集落遺跡 になっており古くから開けた地だったようだ。

宮座行事である「居籠祭 いごもりまつり」は国無形民俗文化財指定

宮座という氏子組織に支えられた祭祀行事で、中世の農耕儀礼を宮座行事として伝える。

天下の奇祭として有名で、2月の居籠祭は、8つの宮座のうちのひとつ、与力座が中心となって執り行われる。

1975(昭和50)年、鎮座後1200年の記念碑

 

境内

 

一の鳥居は西向き 二の鳥居は南向きたつ。 参道は奥が深い

   

四脚門−室町期 門は市有形文化財 

 

社務所・神楽殿

  

1991(平成3)年に氏子や崇拝者の浄財で神楽殿、社務所が改修・新築された。

いごもり(居籠)館

 

拝殿・本殿 共に京都府登録文化財

         

社殿は中世の戦火で度々焼失し、源頼朝や後小松朝、後柏原朝の御代にも再建された。

現在の本殿は1692(元禄5)年の造営。「三間社・流造」屋根には千木・男勝木を置く。屋根は昭和50年に檜皮葺から銅板葺に替わった。

神紋が方々で見かけられた 「下り藤 さがりふじ」

       

末社

  

いごもり(居籠祭) 国重要無形文化財

白装束姿で大たいまつを持って練り歩く御田の儀、氏子が病魔に見立てた竹製の「綱」を引き合い健康を祈る綱引きの儀、氏子たちは祭りの3日間は音を立てない生活をまもる。音を出さないため窯のふたを縄で縛るなどされる。天下の奇祭として有名で「音無しの祭」とも言われ室町期の農耕儀礼を伝えており、豊作祈願・春を呼び幸せを招く祭りとして信仰を集めている。(画像とともにウイキペデイアより引用)

  

境内は弥生時代の遺跡−涌出宮遺跡−で出土品も多い


Apr.2011 野崎順次

京都府木津川市山城町平尾里屋敷54 

撮影日: 2011年4月24日

正式名称は和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)。

古来より天下の奇祭「いごもり祭」で世に知られる湧出宮は、JR奈良線棚倉駅前の鎮守の森に鎮座する古社である。

(旧社格は「延喜式内社・郷社」)創建は今より1200年余り前の、称徳天皇の天平神護2年(766)に、伊勢国渡会郡五十鈴川の畔より、御祭人として此の地に勧請申し上げたと伝えられている。

社蔵の文書(和伎 座天乃夫伎賣大明神源縁録)によれば、御祭神天乃夫伎賣命とは、天照大神の御魂であると記されている。

恐れ多く神秘なるが故にかく称し上げたとある。

後に田凝姫命 、市杵島姫、瑞津姫命を同じく伊勢より勧請して併祀したとある。

尚、この三女神は、大神とスサノオの命との誓約によってお生まれになった御子である。(涌き出宮大明神社記)

大神を此の地に奉遷した処、此の辺は一夜にして森が涌きだし4町8反余りが、神域と化したので、世の人は恐しく、御神徳を称えて、「涌き出森」と呼称したと言い伝えられている。山城の国祈雨神11社の1社として、昔から朝野の崇敬を集めてきた。

清和天皇(859)や、宇多天皇(889)が奉幣使を立て、雨乞い祈願をされえたところ、霊験により降雨があったと記されている。

本殿は社蔵の「堂社氏子僧遷宮記」よれば、現本殿は元禄5年(1692)の造営で、「三間社・流れ造り」で屋根には「千木・勝男木」置くとある。

昭和50年には本殿の屋根が檜皮葺から銅板葺き変わり、現在の形になった。

京都府登録文化財に指定されている。

湧出宮遺跡

涌出森境内一帯は、京都府文化財環境保全地区に指定されている。弥生期の居住跡として弥生式土器・石器等が出土し、また、社務所改築前の発掘調査では、竪穴式住居跡も確認された。

                                                                

 

 

参考資料

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

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