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京都府京都市左京区 瀧澤家住宅

Takizawake, Sakyo-ku, Kyoto

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京都市左京鞍馬本町445 瀧澤家住宅(京都府京都市左京区鞍馬本町) 重文 近世以前/民家 江戸後期 宝暦10(1760) 桁行8.7m、梁間11.9m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、正面庇付、杉皮葺 祈祷札1枚 19750623


July 10,2016 大野木康夫

重要文化財、京町家形式では最古の民家

   

外観

                         

内部

                                         


July 2012 中山辰夫

鞍馬街道に沿って建つ。宝暦10年(1760)に築造された町家である。(国重要文化財)

鞍馬街道を散策する。

京都御所の北方、下賀茂神社の西で賀茂川に架けられた出雲路橋。鞍馬街道は、この橋の西詰

を起点とし、下賀茂神社を右手に見て川の東岸を北上し、貴船口から鞍馬を経て若狭国に至る。

   

鞍馬には魚類、乾物、米、酒など様々な物質が集められたが、特に良質の薪炭の集散地であった。

北山に抱かれた、花背や貴船、そして丹波から集められた木炭は「鞍馬炭」として出荷され、洛中

の生活必需品として使われた。鞍馬寺門前には、明治初期まで多くの薪炭問屋が軒を並べた。

  

秋には錦繍に彩られる鞍馬川。

鞍馬門前から川沿いを遡ると、単純硫黄泉が湧く鞍馬温泉郷がある。

 

門前町には、名物の木芽漬けを売る店をはじめ、土産物屋・饅頭屋などが軒を並べ、門前町そのもの

の姿である。

      

さらに、骨太の台格子に虫籠窓、卯建をあげた町家が鞍馬の里の歴史を語りかける。

     

この地はまた、ヤマノイモ科の野老(ところ)の産地でもあり、掘り出された根は水洗い、煮込み

婦人が頭に乗せて京中を売り歩いた。

街道の筋には鞍馬石が積んである。鞍馬山から産出する花崗岩で、御影石の一種である。

石灯籠や手水鉢、飛石、沓脱石などに用いられ、最高級の庭石の材料として知られる。

褐色の岩肌が鉄分の酸化でより味わい深く赤みを増しように雨ざらしにされる。

   

鞍馬には魚類、乾物、米、酒など様々な物質が集められたが、特に良質の薪炭の集散地であった。

北山に抱かれた、花背や貴船、そして丹波から集められた木炭は「鞍馬炭」として出荷され、洛中

の生活必需品として使われた。

       

明治初期まで、門前町には瀧澤家(匠斎庵 しょうさいあん)をはじめとする数十軒もの薪炭問屋

が立ち並び、街道には炭を運ぶ牛の背で埋まったとされる。

瀧澤家

国重要文化財

街道沿いに建つ宝暦10年(1760)に築造された町家。屋号は匠斎庵(しょうさいあん)

現在はその屋内で湯豆腐料理を堪能できる。

   

建物は、鎧戸と格子戸が組み合わさった堅牢な造りの表玄関や卯建を配した屋根、切妻造で深い軒に

粗い平格子、広い土間と骨太の柱や梁など、古い民家の特徴を見ることが出来る。

  

現在も古い町家の軒先には、牛をつないだ「牛繋ぎ」の鉄輪が下がり、木炭が濡れないように長く

張り出した軒などが、往時の賑わいを伝える。

       

鞍馬門前の人々の暮らしは、半僧半俗的な要素が強かったとされる。

村人は、大惣(おおぞう)、宿直(しゅくじき)、名衆(みょうしゅう)、僧達(そうだち)脇

大工衆、大夫からなる独自の組織「七仲間」をつくり、日々の生活から、鞍馬寺や由岐神社の祭事

祭礼まですべてを執り行った。「竹伐り会式」も僧兵姿の里人が参加して行われた。

 

渡辺木の芽煮本舗

  

門前で売られる鞍馬の「木の芽煮」は、山椒の実などの山の幸と海の幸である昆布を炊いたもので

牛若丸が修行中に食したとも言われる鞍馬の常食であった。

  

鞍馬の人たちが日常のおかずとして作っていたが、8世紀に鞍馬寺が建立されやがて門前町が賑わうと

京をはじめ各地から訪れる参拝客の土産として木の芽煮が売り出されるようになった。

托鉢のお坊さん

  

鞍馬から貴船口までの町並

    

由岐神社御旅所

   

    

叡山電車

 

 

参考資料≪パンフレット、古寺巡礼鞍馬寺、日本の街道・鞍馬街道、他≫


Aug.2011 大野木康夫

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所在地 京都府京都市左京区鞍馬本町445

撮影 大野木康夫

瀧澤家住宅は叡山電鉄鞍馬駅から鞍馬街道を500mほど北上したところにあります。

隣は木の芽煮のくらま辻井本店です。

瀧澤家は古くから炭問屋として続いてきた家で、宝暦10(1760)年の建築です。

京都市中心部では江戸時代後期に廃れた卯建が残るなど、古い時代の京町家の面影を今に伝えていることから、国の重要文化財に指定されています。

かつては、建物の維持のために「匠斎庵」の屋号(もともとの瀧澤家の屋号が「匠斎」)で湯豆腐店として営業されていましたが、廃業され、土日に内部公開をされていました。

近年では、休業されることが多いようです。

この住宅は旧炭問屋と伝える町屋で、規模は小さいが年代の明らかな遺例である。

通り土間形式になる町屋の遺例としては現在知られる京都市内最古のものである。

(国指定文化財等データベースより)

構造等:桁行8.7m、梁間11.9m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、正面庇付、杉皮葺

2011年5月27日の早朝に撮影しました

               

2011年7月10日の昼間に再訪しましたが、やはり閉まっていました。

         

途中にも町屋が点在しています。

       

 

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